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ちゃんと伝わらないなら、黙ってるしかないの?
~『論理哲学論考』ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン著

2009年7月7日(火)

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決定的な体験

もう一度、書こう。
いや、何度でも、繰り返し書こう。
それは、何の変哲もないありふれた日、前触れもなしに、突然やって来る。

ある晴れた夏の日、庭の樹の枝が、ゆっくりと大きく、音もなく揺れている。そして、たくさんの葉が、それぞれ異なったリズムを刻みながら、表になり裏になりして、小さな光の粒子を振りまいている。

また、ある雨の冬の日、窓ガラスを幾筋ものしずくが伝い落ちていく。速度を速めたり、遅らせたり。向こう側の風景を少し歪めて、上から下へ、ときどきは左右に蛇行しながら。

日々繰り返される、ありきたりの光景だ。
おもしろくもない。わざわざ記録する価値もない。

しかし、そんなあたりまえの光景が、ある日あるとき、突然、決定的な体験をもたらす。

何が起こったわけでもない。昨日とどこが違うわけでもない。
それなのに、ある瞬間、ぼくはハッと気がつく、「ああ、世界はこのようなのだ……!」
この世界がこのようにあり、そしてここに自分がいる。
それは、あたりまえのことだけれど、おそろしくリアルに感じられるのである。
そして、自分が今ここにこうしていることが、誰かあるいは何かによって承認された、と理由もなしに確信する。

「よし!」とか「美しい!」とか、そんな言葉を口にしたくなる。
「きれい」や「華やいでいる」という意味ではないが、それは、やはり一種の美しい経験に違いない。
このとき、ぼくたちは生きることの意味や価値に関わる、何か決定的に重要なことを知ったと感じる。

しかし、この体験について語るのは難しい。
そもそも特別なことなど何も起こってはいないのだ。
いったい、何をどう語れるというのか?

『論理哲学論考』は、ウィトゲンシュタインの「夏休みの宿題」

あのリアルで肯定的な時間、本当に大事な体験は、言葉では言い表せない。
ただ、体験するだけだ……。
このことを主題として書かれた哲学書が『論理哲学論考』(1922年に出版)である。
著者は、1889年、ウィーン生まれの哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインだ。

『論理哲学論考』は、普通に読めば論理学の本である。すべて言葉についての考察だ。
ズラリと並んだ短文すべてに、「1」「1.1」「1.21」のように番号がついている。「1.1」は「1」についての注、「1.21」は「1.2」ついての注という意味だ。
こんなふうに、おそろしく論理的に組み立てられ、とことん明晰に書かれた文章で、彼は「言葉で言うことには限界がある」と主張するのである。

「言葉を分析した本が、言葉の限界を明らかにする、だって? 言葉の世界に閉じこもる、哲学者の自慰のような本だな!」と読む前から嫌になる人もいるだろう。だが、それはウィトゲンシュタインを見損なっている。

夏休みになると、初日から一生懸命、宿題に取り組む小学生がいる。勉強が好きだからではない。その反対だ。本当に好きなことに打ち込むために、まず、邪魔な宿題を片づけようとしているのだ。そうすれば、夏休み中、二度と勉強しなくて済むのだから。

『論理哲学論考』が言語について考察するのは、これと同じ理由である。ウィトゲンシュタインは、あの決定的な体験に価値を置く。それに集中したいと思う。だからこそ、まず、役に立たない言葉を片づけようとするのである。

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