「NBO新書レビュー」

浅田彰に始まって、東浩紀に終わる・・・のか?〜『ニッポンの思想』
佐々木 敦著(評者:栗原 裕一郎)

講談社現代新書、800円(税別)

バックナンバー

2009年7月29日(水)

1/2ページ

印刷ページ

評者の読了時間3時間00分

ニッポンの思想』 佐々木 敦著、講談社現代新書、800円(税別)

 本書は、80年代から現在まで、30年間ほどの限定された期間におけるわが国の「思想」の「変遷」を追ったものだ。

 タイトルの「ニッポン」というカタカナ表記がまず目につく。具体的には、「ニューアカデミズム」発生以降、「ゼロ年代」というコピーがはびこる現在までが扱われているのだが、この前後において「日本の思想」の歴史には「切断」が存在していると考えられており、その「切断」で切り取られる期間が「ニッポン」と呼ばれている。

 言い換えると、ニューアカ以降ゼロ年代までの「思想」は、ある種、異例な状態にあったが、その状態はそろそろ終わる(「切断」される)という主張が、「ニッポン」というカタカナにはこめられているのである。

 表面的にはそれなりの「変遷」がありつつも、「ニッポン」で表象される「思想」を貫通していることとして、著者の佐々木敦は4つのキーワードを導入する。

 「パフォーマンス」「シーソー」「プレイヤー」「思想市場」の4つだ。

 「ニッポンの思想」は、「思想」の「内容(何を語るか)」よりも「パフォーマンス(いかに語るか)」によって成り立ってきたものであり、「シーソー」のようにギッコンバッタン極端から極端に振れているだけである。そこで重要なのは、その「パフォーマンス」を演じている「プレイヤー」であり、優劣を決めるのは「市場」すなわち売れたかどうかである。

 要約すればそのような「変遷」がキーワードのもとに語られていく。俗に「論壇プロレス」といわれる見方にちかいが、佐々木は「舞台」「ゲームボード」と呼んでいる。

 「ニッポンの思想」を「80年代」「90年代」「ゼロ年代」の三つに分けて、それぞれのディケイドでメインの「パフォーマンス」を張った「プレイヤー」数名を拾い上げていくというのが具体的な構成で、取り上げられるのは8人。

 80年代=浅田彰・中沢新一・蓮実重彦・柄谷行人
 90年代=福田和也・大塚英志・宮台真司
 ゼロ年代=東浩紀

 「ゼロ年代」の「プレイヤー」が東浩紀ひとりであることに注意されたい。つまり「ニッポンの思想」とは、浅田彰に始まり東浩紀に終わるギッコンバッタンだったということである。

 それさえおさえてしまえば、「プレイヤー」個々の「思想」の「内容」にはそれほどこだわらなくてもよい。

 とはいえ「内容」に関する分析と整理も手際よくなされている。各「プレイヤー」の「思想」の核にある、じつはなかなか見えにくい対立や連関なども浮き彫りにされていて、それこそ「チャート式参考書」(浅田彰が自著『構造と力』について述べた言葉)のようだ。この「分析と整理」にだけ注目すれば、本書は、帯に書かれているとおりの、思想と批評の「入門書」のようにも見えるだろう。

 しかし主題はあくまで「パフォーマンス」の「変遷」にある。「ニッポンの思想」がいかに始まって、いかに終わるのか、そのメカニズムと過程を検証し描出すること。それがこの本の目的であることを見逃してはいけない。

いまは「東浩紀のひとり勝ち」状態

 佐々木は、「ニッポンの思想」はなぜ東浩紀のひとり勝ちになったのか? という問いを、裏テーマとして設定している。東浩紀を特権視しすぎだ、視野が狭い、東にすり寄りやがって、といった批判が出ることが予想されるが、その批判は、いま述べた本書の主題と目的を理解していない。

 「東のひとり勝ち」とは、あくまで、「ニッポンの思想」が行き着いた「状態」を表しているにすぎないからだ。

 1983年の浅田彰『構造と力』の登場によって「ニューアカデミズム」ブームが訪れるが、高度成長からバブルに向かう好景気と、それにともなう消費社会化・情報社会化、ならびにマスメディアのサブカルチャー化が、このムーヴメントをもたらした最大の要因だったと佐々木はいう。

 ポストモダン思想というのは本来、マルクス主義を批判した上での資本主義批判という側面を持っていたが、ニューアカの「チャート式」的なわかりやすさによってカタログ化され、消費社会化・情報社会化の波とシンクロすることでそれ自体が商品と化した「ニッポンの思想」は、奇妙なことに、消費社会を肯定する言説として受容・消費されていった。

〈それは、彼ら(浅田彰と中沢新一──引用者註)の「思想」が「八〇年代ニッポン」に登場したから、ふたりの本来の意図とは無関係に、不可避的に、そうなってしまった、ということです。筆者はこのことを「ニューアカ」の最大の「不幸」だと考えていますが、それはむしろ「ニューアカ」という一大ブームの「勝因」であったと言ったほうが正しいのかもしれません〉

 「ニッポンの思想」はつねに「内容」が「ニッポン」という「現実」によってズラされ続けてきた(負け続けてきた、といってもいい)。その結果、「パフォーマンス」のみが影響を及ぼしうる要素として肥大し、「市場」によって評価される状況が現出するようになる。

〈そして「九〇年代」から「ゼロ年代」へと時代が進んでいくにつれて、この「ズレ」はどんどん重層化し、メタ化していきます。むしろそのような「ズレ」を、いかに先読みして自らの「パフォーマンス」に取り込んでいくかということが、「ニッポンの思想」のプレイヤーたちにとっての最重要課題になっていくのです〉

ここから先は「日経ビジネスオンライン」の会員の方(登録は無料)、「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみ、ご利用いただけます。ご登録のうえ、「ログイン」状態にしてご利用ください。登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。



関連記事

Keyword(クリックするとそのキーワードで記事検索をします)

Feedback

  • コメントする
  • 皆様の評価を見る
内容は…
この記事は…
コメント2 件(コメントを読む)
トラックバック
著者プロフィール

栗原裕一郎(くりはら・ゆういちろう)

1965年川崎市生まれ。評論家。近著『〈盗作〉の文学史』(新曜社。第62回推理作家協会賞受賞)。『週刊読書人』で文芸時評連載中。ブログ「おまえにハートブレイク☆オーバードライブ

記事を探す

読みましたか〜読者注目の記事

  • いま、歩き出す未来への道 復興ニッポン

日経ビジネスからのご案内