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インポ野郎は「迷ったら、直進せよ」

『方法序説』ルネ・デカルト著

2009年8月4日(火)

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ぼくが過ごした、いわゆる「青春時代」は、1970年代の中ごろにあたる。
熱狂の60年代は既に終わっていて、まるで宴かバブルの後のようだった。
夢が消え、身も蓋もない現実が露出してくる過程。それが70年代だったのである。

価値のあることは、もう実現されているか、または不可能であることが明らかになっていた。
60年代に実現済みのことを今さらやり直しても、自分が偽物や縮小コピーになった気がするだけだ。
60年代に失敗が明らかになっていることをなお試みるとしたら、それは、ただの馬鹿だろう。

先の先まで見えている、味気ない現実的なスケジュールを、ただ淡々とこなしていくだけ。
それがぼくらの一生なのだと思われた。

こんなふうでは、何をやるにしても、一生懸命に取り組めるはずがない。情熱的になれるのは、無邪気で単細胞な阿呆だけだと思っていた。
だからぼくらは、いつ何をしているときも、「これは本気じゃない、シャレだ、パロディなんだよ」という顔をした。本気になって力むことは恥ずかしく、小馬鹿にしながら力を抜くのが賢くスマート、と感じていたのだ。

およそ「青春」という言葉の似合わない、よどんで、パッとしない自分のありさまを、誰もが自嘲していた。そして、たがいに冷笑しあっていた。友人の言動に少しでも若者らしい情熱や無邪気や希望を見つけると、片頬に軽く侮蔑の笑みを浮かべて見せるのである。まるで、モグラ同士でモグラ叩きをやりあっているようなもの。ついには、誰も地表に顔を出せなくなってしまった。

ポジティブなことは何も言えず、何もやれない。口先で醒めたことを言ってみせるだけで、行動力ゼロ。年齢が十代だというだけの、情けない「若者」たちだった。

知識や情報が、自分の能力を超えてしまうと

そんなぼくらにも、何か「取り柄」があったのだろうか。

行動力を失ったぶん、知識や情報の収集に熱心になった。
そのおかげで、自分の能力や実行力をはるかに上回る、高い批評眼を持つに至った。

しかし、それは「取り柄」なのか?
もちろん、違う。

批評眼は、まず自分に向けられる。
自分が何かを始める前に、先回りして自己批評を始めてしまう。

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