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「人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないから」

『悪霊』フョードル・ドストエフスキー著

2009年8月18日(火)

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文脈を見なければ、意味はわからない

たとえば「バラ」。

この言葉が何を意味するかは、それがどのような文脈の中に置かれているかによる。
「バラ」とは、花の名だろうか。
美しいヒロインのことかもしれない。
あるいは、バラ積みの荷物?
「馬鹿」と言おうとして舌がもつれた?

「バラ」という文字を何時間見つめても、その意味は決してわからない。
その言葉を含む文脈全体をつかみ、その中でどのような位置を占めているかを見ることによってのみ、それはわかるのである。

生きることの意味も同じだ。

自分自身をどれほど見つめても、自分の生の意味は見えてこない。
自分がどのような文脈の中で、どんな働きをしているかを見て、はじめて意味がわかる。

自分がその中で生きている文脈が把握できなければ、どう生きたって、生の意味を感じることはできないのである。

動機がない、やる気がない、判断もできない

ところがぼくらは、「自分の生に意味を与える文脈」が見えにくい時代に生きている。

文脈と言えば、家、社会、国、歴史、人類、宇宙、等々、さまざまなものが思い浮かぶ。それらはみな、一編の物語のように構成されていて、ひと筋の文脈がたどれるかのように思える。
その文脈に適合した生き方をすれば、ぼくらの生は肯定されるのだろう。

しかし、本当にそんな文脈があるのだろうか?

あればいい、と思う。
信じたい、とも思う。

しかし、正直に言えば、ぼくらには文脈が、よく見えないのではないか。
ときどき見える気がしても、結局は、実感や確信が持てないのではないか。

それでぼくらは、どう生きていいかわからず、とまどってしまう。
文脈が見えないのだから、当然、何をやっても、文脈に合っているとも合っていないとも判定できない。

つまり、ぼくらはどう生きても、否定もされないかわりに、肯定もされないのである。

言い換えれば、ぼくらは「何をやってもいい」「自由」ということだが、これは、もしかしたら「不自由」と同じくらい、生きにくいのではないだろうか。
ちょうどテーマも枚数も自由な作文が宿題に出て、書いては消し書いては消しを繰り返す小学生のようだ。「何でもいい」という自由さに、のびやかさや解放感よりも、むしろ頼りなさ、手応えのなさを感じて、苛立ち、焦ってしまう。

「何でもいい」のだから、何をやっても達成感も充実感もない。
「何でもいい」のだから、動機もやる気も持ちようがない。
「何でもいい」のだから、本気で判断はできない。
何をどう判断しても、重みがない。
だから、気持ちや行動の方向が定まらず、いつも不安定だ。

こうしてぼくらは、熱中できず、やる気が持てず、判断もできなくなってしまう。

『悪霊』のあらすじはエピクラフに書いてある

「文脈」が見えず、生きる意味が感じられない時代に、ぼくらの生はどうすれば肯定されるのだろう。19世紀ロシアの小説家ドストエフスキーが書いた『悪霊』は、まさにそれがテーマである。

コメント6

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