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「見えないモノのざわめき」に声をあたえる者~『琵琶法師』
兵藤 裕己著(評:栗原 裕一郎)

岩波新書、980円(税別)

  • 栗原 裕一郎

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2009年8月31日(月)

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評者の読了時間6時間00分

琵琶法師──〈異界〉を語る人びと』 兵藤 裕己著、岩波新書、980円(税別)

 青池憲司監督の記録映画『琵琶法師 山鹿良之』(1992年)の上映会が、先日8月6日と8日に中野区野方区民ホールで催された。

 「最後の琵琶法師」と呼ばれた山鹿良之(当時91歳)の生活を、彼が語る段物「小栗判官」を縦軸にしながら追った渋いドキュメンタリーで、「客が入るのだろうか」と思いつつ足を運んだのだが、両日とも250席が満席という盛況ぶりでちょっと驚いた。

 この映画で監修を務めている兵藤裕己氏が本書『琵琶法師』の著者だ。

 山鹿良之の演唱する姿は、本書にも付録DVDとして収められている(「俊徳丸」部分)。兵藤氏は、1982年の出会いから1996年の死去まで十余年にわたって山鹿のもとへ通いフィールド調査を続けた人物であり、撮り貯められたビデオ(200本以上になるとか)のごくごくごく一部が収録されているのである。

 『平家物語』を語る盲僧というイメージが強い琵琶法師だが、『平家物語』成立以前から存在していた。また、後年になると『平家物語』は一部の特権層に独占され、下級の琵琶法師は演奏を禁じられてしまう。琵琶法師=『平家物語』を語る盲僧、ではかならずしもないのだ。

 本書は、琵琶法師の発祥から衰滅まで、その実像と歴史をダイナミックに描き出した一冊と要約できるが、「最後の琵琶法師」山鹿良之は、終わりを象徴する人物として登場するのではない。

 著者が直に体験した、山鹿良之=琵琶法師の「モノ語り」の特異性が、琵琶法師という存在の謎を解き明かすカギとして全編を貫いているからだ。

 琵琶法師の読誦は、『平家物語』もそうだったように、死んだ者たちを弔うための物語だった。

 「異界」に棲む〈見えないモノのざわめき〉に声をあたえ現前させること。琵琶法師の「モノ語り」とはそういう呪術的なパフォーマンスであり、モノ=死者に次々転移する琵琶法師の語りは、近代的な意味での「主体」とか「視点」といった概念では捕まえることができない〈絶対的な他者〉としてある。

 思い出話でさえモノ語りとなり、登場人物に転移していってしまう山鹿との(ディス)コミュニケーションを通じて、著者はそのような実感を持つにいたったのである。

物語は両義性を帯びていく

 琵琶法師が文献に登場し始めるのは10世紀の平安中期ごろ。貴族の邸に召されて芸をしたり、寺院に下級の宗教芸能民として所属し法会や祭礼で「散楽」(公式の「雅楽」に対する、卑俗な雑学・雑芸のたぐい)を奏したと残っているが、著者は後世の資料から「地神経」も読誦したのではないかと仮説を立てる。

 「地神経」とは、大地の神(地神)を鎮めるための民間教典で、「盤古大王・堅牢地神」とその王子「五竜王」の神話に基づく「五郎王子譚」を説いたものだ。

 「五郎王子譚」は、「地母」とも訳される「堅牢地神」と、その第五男子である「五郎王子」をめぐる物語なのだが、両者を混同・同一化したり、五郎が姫にすり替わっていたりする伝承があることに著者は着目する。

 それは単なる伝承ミスなどではなく、モノ語りの本質に関わる事態であって、両義性を帯びた物語として「五郎王子譚」が現われていたところに『平家物語』の原初の姿があるというのだ。

〈いわゆる「宿の者」として境界の地に住み、みずからも両義性を帯びた存在である琵琶法師たちにとって、その奉斎する神の両義性は必然的なものでもあった。地神の信仰が可能態としてはらむ母と子の信仰は、むしろかれらによって伝承された物語において、物語を生成させる母体[マトリクス]として作用することになる〉

 平家が壇ノ浦で滅んだのは元暦2年(1185年)のこと。それからほどなく『平家物語』は語られ始めたらしい。

 平家滅亡直後、京都に大地震が起こり、8歳で死んだ安徳天皇と平家一門の祟りだと怖れられた。そこで、平家を鎮魂するための寺院が建てられた。「耳なし芳一」にも登場する赤間ヶ関の阿弥陀寺である。

 『平家物語』の最後「灌頂巻」に、建礼門院(清盛の娘で安徳天皇の母)の夢の語りとして、壇ノ浦に沈んだ安徳天皇と平家一門が竜宮城にいること、つまり竜王の眷属(一族)に転生したことが書かれている。

 先の大地震について人々は「竜王動く」と噂した。竜王とは平清盛であり、また安徳天皇でもあった。安徳天皇と一緒に三種の神器の宝剣も海に沈み失われたのだが、この宝剣はスサノオノ尊がヤマタノオロチの尻尾から取り出したものだった。安徳天皇は、宝剣を取り返すために生まれ変わったヤマタノオロチであると人々は信じたのである。

 安徳天皇の物語はさらに『法華経』の説く8歳の「竜女」と習合していく。「堅牢地神と五郎王子」と「平清盛と安徳天皇」ふたつの物語で、似たような同一化と混同、両義性が生じていることに注意したい。

 当時宗教界の頂点にいた僧侶・慈円も、歴史書『愚管抄』に〈安徳帝は「竜王のむすめ」厳島明神のうまれかわりゆえに海に帰ったという説〉を書いている。

 慈円が、保元の乱以降の乱世に満ちていた「怨霊・亡卒」を鎮めるために三条白河に大懺法院を建立し後鳥羽上皇に収めると、僧侶や説教師、遁世僧や下級芸能者が集った。この大懺法院がどうやら『平家物語』編纂の場となったらしい。

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