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今後、日本は、国際社会でどのような役割を担うべきか。本書は「平和構築(紛争後の地域において、国家の再建を通じ、紛争の再発を防ぎ、平和を定着化させる活動)」という側面から、リアルな提言を行っている。
著者は、1993年から2004年までNHKに勤務していた元ディレクター。NHKスペシャル「イラク復興・国連の苦闘」などを企画・制作後、「平和構築」の専門家を志してカナダのブリティッシュ・コロンビア大学大学院に留学し、現在、博士課程に籍を置く。
自衛隊の派遣問題で注目されるアフガニスタンについても、「現場」の視点で問題点が的確に整理されている。
カンダハールの治安セクターで働くアフガン人国連職員は、著者に「政府も信頼できないし、かといってタリバンも賛成できない」「頻繁にタリバンから脅迫状が来ます」「しかし、私たちが諦めてしまったら、この国は終わりじゃないですか」と苦しい胸の内を吐露する。汚職で腐敗する政府と、アフガン南部で勢力を盛り返したイスラム主義の武装勢力タリバン……混乱と破壊が続くアフガンで、いま、もっとも重要なテーマが、この両者の「和解」なのだという。
著者は治安が悪化するアフガンで、一般市民にアンケート調査やインタビューを行い、「本当にタリバンと和解できると思うか」と訊ねる。すると、多くの人から、こんな答えが返ってくる。
「アルカイダなど外国から来た過激派は、この国に紛争を起こすために来た人たちで、彼らとは和解できない。でも、アフガン人のタリバンの多くは、お金のために(山岡注:兵士として働けば1カ月100ドルもらえる)、生きるために戦っている。もともと彼らは、我々の兄弟なのだ」
著者は記す。
〈現地の人々が、反政府武装勢力を「外国から来た過激グループ」と「アフガン出身の反政府勢力」に分ける感覚を持っていることを知った。そしてこの感覚こそ、タリバンとの和解を考える上で、決定的に重要なのではないか〉
アメリカは「不朽の自由作戦」と銘打ってタリバン掃討を掲げ、軍事行動を展開している。オバマ大統領は、増派を受け入れ、年末までには6万8000人の米軍大部隊がアフガンに集結する見込みだ。しかし武力だけでは絶対に不可能な領域がある。それが平和構築だ。
では、和解や説得が欠かせない平和構築は、どのような筋道で組み立てられるのか。
第三国にかき回されるアフガニスタン
紛争地に大国、もしくは国連が介入し、国家を再建して平和が回復されるまでには、次の三段階を経なくてはならない。
まず紛争期に国連や他の仲介国が当事者の間に入って「和平調停」を行う。あるいは、武力紛争が続いている状況で、国連が承認した「多国籍軍」などが強制的に介入し、紛争を終結させる「平和執行」を行う。どちらかがきっかけとなって紛争が終わり、和平合意がなされ、第二段階、平和構築が始まる。
国連主体の平和構築の場合、治安維持は「国連平和維持軍(PKO)」が担い、現地に総合的な指揮をとる「国連ミッション(派遣団)」が置かれ、さまざまな調整がなされて「暫定政府」が設けられる。紛争者たちの武装解除、現地の軍や警察の育成、憲法制定、選挙の実施など民主化へ向けてのプログラムが実践される。
そして平和が回復した段階で、暫定国家から新国家へ移行。PKOが撤退して現地の軍や警察に治安維持を任せ、国連ミッションも規模を縮小して支援事務所となる。
と、書くのは簡単だが、現実には平和構築のプロセスは紆余曲折、介入する国々の利害も絡まり、一筋縄にはいかない。その典型が、アフガンなのだ。
アフガンは外敵と戦い続けてきた国である。19世紀に二度、イギリスの侵略を退け、1979~88年にかけてはソ連と泥沼の「ジハード(聖戦)」を戦い抜き、「ムジャヒディーン(聖戦の戦士)」各派はアラブ諸国や米国の支援を受けてソ連を撤退させた。が、内戦が勃発。パキスタン側に避難した300万人の難民キャンプから、94年、突如、タリバンが出現し、急速に勢力を拡大する。神学校でイスラム原理主義を学んだ若者で構成されるタリバンは、90年代末にはアフガンのほぼ九割を支配下に置いたという。
2001年9月11日の米国同時多発テロで状況は一変する。ブッシュ政権は、タリバンにビンラディンの引き渡しを要求するが拒否され、アフガンの空爆を開始。これを機にタリバンと対抗していた「北部同盟」が進撃を始め、タリバン政権は崩壊した。
ここが平和構築の最大のチャンスだった。アフガン各派の話し合いでハミド・カルザイ氏が暫定政権の議長に選ばれ、04年の選挙で正式に大統領に就任。翌年には下院議員と県会議員の選挙も行われる。ところが、このころから急速に治安が悪化する。なぜか?
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