見えない台本、見えない演出家
いつもそうだし、ずっとそうだった。
人前に出たがらないのは、「場ちがい」な発言をしてしまいそうだから。
正式な席を嫌うのは、「場ちがい」な振る舞いでひんしゅくを買ってしまいそうだから。
「場ちがい」な発言を恐れて、ただの雑談なのに相手をにらみつけるほど集中して、自分も相手もヘトヘトに疲れさせてしまったり。
「場ちがい」な振る舞いをしないよう慎重になり過ぎて、まるでロボットみたいにギクシャク動いたり。
まったく、自分でも馬鹿じゃないかと思う。
不自然に見えるほど「場ちがい」を恐れ、「場」に媚びているなんて。
だから、考えずにはいられない。
ぼくがそんなにも恐れている、「場」とはいったい何なのだ、と。
それは、おそらく、人々が作り上げる共通の舞台空間のことだろう。
台本なし演出家なしで、みんなで演じる「お芝居」のことに違いない。
するとぼくは、有りもしない台本にこだわり、居もしない演出家の眼におびえて、ひとりで勝手に不自由な目にあっているのだろう。
この世界において「場ちがい」だ
いや、それだけではない。「場」とは、会議や歓談、交際の席だけではない。「人々とともに演じるお芝居」だけではない。
その根底には、さらに大きな場があり、大きな舞台がある。
この世界全体。この人生そのもの。
それもまた「場」である。
そして、ぼくにとっていちばんの問題は、そこにおいても、やはり「場ちがい」なことだ。
多少の不自然や不自由はあろうとも、日常の小さな「お芝居」は、ぼくを含めて、みんなそれなりにこなしていく。失敗したって、それは誰にでもあること、忘れるだけだ。
しかし、「そもそもこの世界において、この人生において、ぼくは根本的に場ちがいだ」と痛切に感じるとき、「今、ここに、こうしているだけで、居たたまれない思いがする」ときは、どうしたらいいのだろう。
美しい風景の中に、なぜか撤去し忘れて残る一本の醜い廃材。
自分自身が、そんなふうに見える。
自分がつらいからというよりも、むしろ「場ちがいな物がある」と気づいた人の義務として、この醜い邪魔物を片づけなければいけない、どこか人目につかないところに捨ててこなければいけないと感じる。
あるいは、こうも言える。
ぼくは、この世界に生きていて、主人公でも脇役でもカタキ役でもない。
それどころか、もともと登場人物ですらない。
なのに、どうしたことだろう、何かのはずみで、ぼくは舞台に上がってしまった。
本来いるはずのない人物だから、どれほどじょうずに話したり振る舞ったりしてみせても、まったく価値も意味もない。
ここに立っているだけで芝居を壊していく、ぼくは存在自体が迷惑なやつなのだ……。
不条理とは「場ちがい」のこと
20世紀の中ごろ、このような根本的な「場ちがい」感に、ひとつの名を付けた劇作家兼小説家がいる。アルベール・カミュだ。彼は、それを「不条理」と呼ぶ。
人間とその生との、俳優とその舞台とのこの断絶を感じ取る、これがまさに、不条理性の感覚である。
引用したのは、1942年に出版されたカミュの『シーシュポスの神話』の一文だ。「不条理(absurde)」は、この本のキーワードである。
辞書を引けば、「absurde」の項には「不条理」「馬鹿げた」といった訳語が並ぶ。「場ちがい」などという訳例はない。しかし、この本を読んでいて「不条理」という語にぶつかると、そのたびにぼくは頭の中で「場ちがい」と読み替えている。上の引用文もそうだが、カミュの使い方、文脈上の意味は、「場ちがい」に近いと思うからだ。
ムルソーは「場ちがいな人」
『シーシュポスの神話』と同じ年に出版された小説が『異邦人』である。

母親の葬儀や服喪中に、ふさわしくない振る舞いをしたムルソー。彼は、友人のケンカ相手を射殺して裁判にかけられるが、取り調べでも法廷でも「場ちがい」な発言に終始して、ついに死刑判決を受ける……これが『異邦人』のあらすじだ。
主人公ムルソーは、母親の死、他人の死、自分の死という3つの死の間で、徹底して「場ちがい」な言動を繰り返す。
『異邦人』のテーマは「場ちがい」と「死」なのである。
だから、もしぼくがこの本の翻訳者なら、書名(L'étranger)もまた、思い切って「場ちがいな人」と訳してしまうだろう。
死を予感しながら「お芝居」を続けられるか?
なぜムルソーは、こんなにも「場ちがい」になるのか。
それは、彼が「死」を強く意識しているからだ。
「お芝居」の例を続けよう。
人々がみんなで演じる「お芝居」は、実は脆弱なものである。
どれほど立派に役を演じ、文脈に適した振る舞いをしていても、ぼくらの思惑や希望や確信をあざ笑うように、現実の力は、常に唐突に、そしてしばしば破壊的に、ぼくらの「お芝居」に介入してくる。
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1959年、東京生まれ。







