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「無意味で愚か」だからこそ、挑戦は続く

『城』フランツ・カフカ著

2009年10月27日(火)

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それは、演劇、ダンス、音楽、美術、文学、等々の芸術かもしれない。
もしかしたら、政治、宗教、思想、等々の理念的な活動かもしれない。

ある日、「これはすばらしい、これには価値がある」と心の底から言えるような対象に出会う。
ジッと見つめる。もう片時も気持ちが離れない。
やがて、どんな形であれ、それに貢献したいと思うようになったときは、すでにその世界に足を踏み入れているのである。

そのうち「成功」を考え始めるかもしれない。
いや、「成功」と言っても、それは富や名声を得ることではない。
ただ、自分が価値を認める世界の中で生きていく。できれば自分自身の手で価値を作り出したいと願う。それを実現することが、すなわち「成功」である。

そのためには、どうしたらいい?
これらの世界で「成功する」ための確実なルートなんて、いったいあるのか?

あると思う。自分はそれを知っていると思う。
ところが、いざ歩み始めると、……とんだ迷路に入り込んでいることに気づくのだ。
自分が誤解していたのか、ルートが変わったのか、いやルートなど、もともとありはしなかったのか。

自分が道を見失ったと気づいて、焦る。「成功」の手がかりなら、どんなものでも欲しいと思う。
手がかりを得るための手がかりでもいい。さらにそのための手がかりでもかまわない。ほんの指先でも引っ掛かったら、決して放すまいと全力でそれを握りしめる。その結果、目標の手前の手前の手前……で全力を使い果たしてしまうのだが。

この頼りない状況、誰か救いの手をさしのべてくれないだろうか。
ツテを探す。ツテのツテを探して、関係を結ぶ。

しかし、さんざん時間を費やしたあげく、その人脈では目的地までたどり着けないと悟る。有力者に違いないと見当をつけていた人が、見せかけだけのインチキだったのだ。
そうかと思うと、本当の有力者とすれ違っていたことを後で知る。彼は意外に地味な姿だったので、つい見過ごしてしまったのである。

本当に雲をつかむような話だ。
こんな世界で「成功する」なんて、不可能ではないのか。周囲のみんなも、無理だ、諦めろと言う。まったくだと、つい自分までうなづいている。

それは、ありふれた物語

遙か彼方にかすんで見えるだけの目標に向かって、日々繰り返される、挫折と再起。
これは、いつでもどこにでもある、ありふれた物語。
「十代のころの一時の気の迷い」まで含めれば、たいていの人が、多かれ少なかれこのような経験をしているのではないだろうか。

フランツ・カフカ(1883年生-1924年没)が小説『城』で描いているのは、ほぼこのような生活。高く困難な目標とそのずっと手前であがいているようすだ。

文学界での「成功」を夢見て、長編小説に取り組んでは挫折していたカフカ。彼が『城』を書いていたのは、死の2年前、40歳、結核の悪化により勤め先を辞めるころだった。

『城』は、カフカの苦心の末の失敗作であり、完成も諦めて、途中放棄された作品である。原稿は、カフカの遺言で焼却処分されることになっていたぐらいだ。『城』という作品自体が、いわば「成功」を目指して戦い続け、負け続けたのである。

ところが、その『城』が、負け続けた末に見捨てられた残骸のはずなのに、作者カフカ自身の評価をもくつがえして、20世紀を代表する偉大な文学作品としてそびえ立ち、世紀を超えて今もなお、これほどの強度を誇っているのである。

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