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55. 「それを愛している自分」は呪縛でもある。

宇野常寛×更科修一郎『批評のジェノサイズ』を勝手に読む(1)

  • 千野 帽子

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2009年12月2日(水)

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 日直のチノボーシカです。

批評のジェノサイズ サブカルチャー最終審判』宇野常寛 更科修一郎 著、サイゾー、1575円(税込)

 先日、外回りの途中で入った書店で、宇野常寛×更科修一郎の対談『サブカルチャー最終審判 批評のジェノサイズ』(サイゾー)を見かけた。これは少なくとも私個人にとってはいい本でした。

 両氏はともに1970年代後半生まれの批評家・編集者である(宇野さんと更科さんでは「編集者」の意味が多少違うが省略)。また、更科さんは本書をもって批評家を引退した。

 現在の文化は、受け手が無数のトライブに分化して、彼らのコミュニティが〈タコツボ化〉〈島宇宙化〉している、と宇野・更科両氏は言う。供給側の媒体もまた、そのような受け手を慰撫する〈御用メディア〉と化している、とも(引用者の責任で改行)。

更科 細分化が進みすぎて、どこに行っても動脈硬化を起こしてるんだよね。ある文化を語るためには、その文化の島宇宙に属さなければならない。島宇宙に媚びた言論を言わないと干される〔…〕

宇野 『ゼロ年代の想像力』を連載していた頃、SF界の中年オタクの大人げない一部がモーレツに怒り狂ったんです〔…〕。

現在のSFファンダムの一部には「SFやオタク系作品は味方の文化だが、それ以外は敵だ!」と考える、どうしようもない人ばかりが目立つ。たとえば、あるSFファンダムの重鎮からは連載序盤で「ニューアカ」なんて時代錯誤の言葉で罵倒されましたし、「俗物的なテレビドラマを褒めるなんてけしからん。『SFマガジン』から消えろ」という批判も受けました。

日本のSF界自体は、〔…〕リベラルで知的な空間なんです。でも、一部の党派的な業界人やワナビーの跳ね上がった排他的な態度がすべてを台無しにしている。もっとも、これはあらゆるジャンルに言えることで、逆に他者に対する寛容さが、あらゆるコミュニティに問われている時代なんだと思います。

SFはここでほんの一例として挙げられたにすぎない。TVドラマから映画、お笑い、アニメ、純文学に漫画にウェブコミュニティと、同書の絨毯爆撃の範囲はきわめて広い。

コメント5件コメント/レビュー

「ジェノサイズ」は雑誌連載時に何度か読みましたし、それ以外にもあちらこちらで宇野の文章は読んでいますが、大筋で賛同しつつも、やっぱり随所でカチンときてしまう自意識過剰な男です。ロック雑誌にも思いっきりかぶれていました、すいません。「~が好きな自分」にこだわるのは趣味以外のアイデンティティが見つけづらくなっているからでしょう。そして一部のウザイ人たちが周りをイラつかせ、「負の教養主義」を生み出してしまっているのでしょう。(2009/12/03)

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いただいたコメント

「ジェノサイズ」は雑誌連載時に何度か読みましたし、それ以外にもあちらこちらで宇野の文章は読んでいますが、大筋で賛同しつつも、やっぱり随所でカチンときてしまう自意識過剰な男です。ロック雑誌にも思いっきりかぶれていました、すいません。「~が好きな自分」にこだわるのは趣味以外のアイデンティティが見つけづらくなっているからでしょう。そして一部のウザイ人たちが周りをイラつかせ、「負の教養主義」を生み出してしまっているのでしょう。(2009/12/03)

▼「それを愛している自分」から「それを愛しているのが自分」→「それを愛していなければ自分ではない」となったとき、それは自らの存在理由を質に取った呪縛になる。こうなってしまった人間が呪縛を解こうとする時、しばしば呪詛の言葉、即ち「あれは気の迷いだった」、「”それ”には価値がない/価値が無くなった/つまらない/時代遅れ」等の、自己説得めいた発言を周囲にばらまきながら、過去の自分を断ち切ろうとする。その行為が、まだ「それ」を愛する人々(クリエイター及び愛好者)に唾を吐きかけるようなものであるにも関わらず…。そんな場面をしばしば目撃してきた。▼「呪い」をもって「呪い」を破った人の周りでは、流れ弾に当たって苦しんでいる人がいる。▼何かを求める時、それ以外のモノを否定しなければ安定できない心の弱さ、その裏返しとして、今求めているモノ以外への傍若無人な攻撃性がそこにあるように思う。世に在る、あらゆる批評・批判を見る時、それをしばしば感じる。この記事の著者にしても同様だ。▼「それを好きではない自分」も、自分の可能性を狭めるという意味で、同等の「呪縛」である。▼ただ、記事の最後、「ひとりひとり、自分のセンスを相対化しうる観点、相対化されても受け止められる冷静さを持てばいいのに」というコメントには全面的に同意する。加えて言うなら、その冷静さを得るためには、「自分は、いま愛している何か以外も好きになる時が来るかもしれない」、「嘗て愛していた何かは、今の自分を構成する要素の一部である」という考えを持つべきなのではないか。他者と自分の可能性には「寛容〔トレランス〕」をもって接する事が必要である。▼例えるなら、異文化の「ゲテモノ料理」は、それをゲテモノであると断じた瞬間、好きになる為のハードルが上がり、その料理を愛する人々への否定と攻撃の切っ掛けになるという事だ。(2009/12/02)

チノボーシカさん今週もブラボー。こんなに毎週愛読してるのに千野さんの著書まだ買ったことがありません。そろそろ本屋でお布施をば・・・(2009/12/02)

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