日直のチノボーシカです。
昨年の終わりごろ、大勢で呑んでいて、隣にいた人Aさんから、著名なクリエイターのBさんの話を聞いた。
クリエイターというのもまあいい加減な言葉だが、映像作家とか文筆業者とか作詞作曲家とか漫画家とか美術家とか服飾デザイナーとか演出家とかゲームデザイナーとか、要するに自分の名を冠した「作品」を公に問うて商売している人のことだ。以下の話は特定の分野の話に縛られたくないので、この大雑把な言葉を使うことをご寛恕願いたい。
Bさんはたいへんに著名でたいへんに人気がある。私もその作品を知っている。いままで何人かの人にも、Bさんの作品はいいよ、と薦められたことがある。作品だけでなく、Bさん自身もさまざまな媒体に露出している。
Bさんは幼少期に金でたいへんな苦労を体験した人らしい。金以外でもいろいろ苦労した人だという。そのことはよく知られていて、Bさんに詳しくない私でもなんとなく漏れ聞いたことがある。
そして、金というのは馬鹿にならないものだ、ということを身上にしているし、作品にもその考えがはっきり出ているらしい。世の中最後は金だ、とまで言ったかどうか知らないが、その覚悟が作品に漲っているそうだ。
呑み会で隣席にいたAさんは、Bさんのそういうところを絶賛していた。すばらしい、と。
そうか? と私は思う。ここには、三つのことがごっちゃになっているのではないか。
1. Bさんが「金は大事だ」と考えていること。
2. Bさんの作品が大成功して、Bさんに現に巨額の金を齎していること。
3. Bさんの作品がAさんにとって良いものであること。
以下、私が言いたいことは、Bさんの考えかたが正しいかどうかではなく、Aさんが──つまり著名なクリエイターではなくひとりの文化の受信者・エンドユーザ・消費者である私たちが──文化を受信するときに、どう考える癖があるか、という話である。
* * *
まず、金が大事だというBさんはまったく間違っていない。でもそんなことは、ふつうに生きている人ならだれでも思うことだ。
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