「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明」

伝書鳩がつぶやくのは、誰のメッセージなのだろう

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2010年1月12日(火)

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 鳩山首相がツイッター(Twitter)をはじめたというので、遅ればせながら参入してみた(ツイッターの公式ガイドページはこちら)。
 
 で、一週間ほどあれこれいいじくりまわしてみた結果、だいたいのところはわかった気がしているわけだが、この「わかった気」というのが曲者で、どうせ私は誤解しているのだと思う。うむ。確信がある。私は誤解している。

 いや、奇妙な言い方である旨は承知している。が、私のこの「自分が誤解していることをわかっている感じ」は、「わからない」というのと、ちょっと別な感触ではあるのだ。

 つまり、ツイッターには、おそらく数百通りの「わかり方」があって、それらの解釈のいずれもが、多かれ少なかれ誤解を含んでいるということだ。別の言い方をするなら、この種のコミュニケーションツールの真価は、傍観者が把握したつもりでいる「だいたいのところ」から外れた部分に宿っているものなのである。
 
 今回は、ツイッターの世界を覗いてみた感想について書くことにする。
 ついでに、ツイッター以前に登場したインターネット上のコミュニケーション手段についてもざっとしたところを振り返っておきたい。私自身、いろいろと関わったり投げ出したりして、現在に至っているわけだからして。

 まことに、コミュニケーションというのはむずかしいものだ。バーチャルであってさえ。

 ブログも、SNSも、2ちゃんねるや掲示板も、ウィキペディアが解説している通りのものではない。まして新聞の用語欄が要約している姿とはまるで違う。

 結局、この種の「関係を媒介するツール」は、それに関わる人間の関わり方によって、どうにでも姿を変えてしまうもので、そもそも用語欄で定義できる対象ではないのだ。

 画材についてどんなに詳しく語っても、絵画という芸術を解説したことにはならない。
 結局、道具は、説明するべきものではなくて、使うべきものなのだ。
 
 ずっと昔、インターネットについて、「鏡のようなものだ」という言い方で解説記事を書いたことがある。
 簡単に要約してみると、以下のような話だ。

 インターネットを探索している人々は、世界の外部に向かって手を広げているつもりでいる。が、その実、彼は、自分の内面を掘り進んでいる。音楽の愛好家は音楽関連のサイトを歩き廻り、自動車マニアは同好の士が作ったホームページを渉猟することになる。エロ好きの紳士諸君は余儀なくエロページの森に迷い込む。ということは、A氏にとってのインターネットはA氏のアタマの中味そのものを反映したもので、B君のインターネットはB君の趣味を再現した世界になるということだ。であるから、インターネットについて批評する場合には、注意せねばならない。というのも、「ネットなんてしょせんはエロネタだよ」と言ったあなたは、自分がエロ人間であることを告白していることになるからだ。

 ツイッターについてもおおむね似た事情がある。
 いや、ツイッターの構造はさらに入り組んでいる。
 私のツイッターは、あなたツイッターと同じにはなりようがない。
 
 というのも、ツイッターは、特定の共有された「場所」ではなく、むしろ特定の関係を特定の立場から見る場合の「視点」に近いものだからだ。

 ツイッターを利用する際のメインビューとなる「タイムライン」には、自分がフォロー(特定の話者に対して読者として登録すること。つまりその人のつぶやきを「追いかける」)したユーザーの「つぶやき」のみが表示される(それと、自分の「つぶやき」も)。

 ということはつまり、「あえて見ることに決めた以外の世界は見えない」というのが、初期設定になっているわけだ。

 ツイッターのつぶやきは、ブログのコメント欄やトラックバックみたいに、最初から外部に向けて開示されているわけではない。基本的には、自分がフォローしている人間からのつぶやき以外は、こちらに届かない仕組みになっている。
 竹の節から覗いた世界。
 あるいは井戸の底から眺めた空みたいなものだろうか。

 ともあれ、私の景色があなたの目に見えている景色と違っているのと同じように、複数のユーザーのツイッターは相互に一致しない。そういう建前になっている。
 わたしたちは、同じように富士山を見ている。でも、私の部屋はあなたには見えない。なぜなら、わたしたちは、空を共有してはいても、部屋を共有してはいないからだ。友人も、血縁も、会話も、回線も、だ。

 同人ではあっても別人。私はあなたではない。世界について私の見解をひとことで言うなら、「余計なお世話だ」ということになる。
 かように、ツイッターの人間関係は用心深い。

 ウェブ上のコミュニケーションは、初期の無防備で自由な雑踏の関係から、時代を追って、断片的で用心深い、密室を結ぶ糸電話みたいなものに重心を移してきている。

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著者プロフィール

小田嶋 隆(おだじま・たかし)

小田嶋 隆

1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。近著に『人はなぜ学歴にこだわるのか』(光文社知恵の森文庫)、『イン・ヒズ・オウン・サイト』(朝日新聞社)、『9条どうでしょう』(共著、毎日新聞社)、『テレビ標本箱』(中公新書ラクレ)、『サッカーの上の雲』(駒草出版)『1984年のビーンボール』(駒草出版)などがある。 ミシマ社のウェブサイトで「小田嶋隆のコラム道」も連載開始。



このコラムについて

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明

「ピース・オブ・ケイク(a piece of cake)」は、英語のイディオムで、「ケーキの一片」、転じて「たやすいこと」「取るに足らない出来事」「チョロい仕事」ぐらいを意味している(らしい)。当欄は、世間に転がっている言葉を拾い上げて、かぶりつく試みだ。ケーキを食べるみたいに無思慮に、だ。で、咀嚼嚥下消化排泄のうえ栄養になれば上出来、食中毒で倒れるのも、まあ人生の勉強、と、基本的には前のめりの姿勢で臨む所存です。よろしくお願いします。

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