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「オジサンが泣いている」と評判の「マイマイ新子」、涙の理由は?

映画「マイマイ新子と千年の魔法」片渕須直監督・1

  • 渡辺由美子

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2010年1月21日(木)

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●作品紹介●

ゆったりとした自然に囲まれた山口県防府市・国衙(こくが)。
平安の昔、この地は「周防の国」と呼ばれ、国衙遺跡や当時の地名をいまもとどめている。この物語の主人公は、この町の旧家に住み、青麦畑を遊び場に過ごす小学3年生の少女・新子だ。おでこにマイマイ(つむじ)を持つ彼女は、おじいちゃんから聞かされた千年前のこの町の姿や、そこに生きた人々の様子に、いつも想いを馳せている。
彼女は“想う力”を存分に羽ばたかせ、さまざまな空想に胸をふくらます女の子であり、だからこそ平安時代の小さなお姫様のやんちゃな生活までも、まるで目の前の光景のようにいきいきと思い起こすことができるのだ。そんなある日、東京から転校生・貴伊子がやってきた。

公式ホームページより引用・編集)

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20代女子が「試写会でオジサンが泣いてます」と連絡してきた

―― 私が最初に耳にしたのは、「試写会でオジサンが泣いている」という20代の若い女性編集者からの話でした。彼女から見た「オジサン」、つまり、30代から40代、そして50代の男性が泣いていると。アニメ業界の各所でそういう評判が立っていたんですね。

片渕須直(かたぶち・すなお)
1960年大阪生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業。宮崎駿監督が参加した日伊合作のTVアニメーション・シリーズ「名探偵ホームズ」で、脚本、演出補。89年の宮崎駿監督作品「魔女の宅急便」でも演出補を務める。96年の世界名作劇場「名犬ラッシー」では監督。2001年、劇場アニメ作品「アリーテ姫」では監督・脚本。同年にゲーム作品「エースコンバット04 シャッタードスカイ」にムービーパート監督・脚本として参加。06年のTVアニメ・シリーズ「BLACK LAGOON」では監督・シリーズ構成・脚本を担当。その他、数々のアニメーション作品に携わる。

片渕 劇場でオジサンが泣く、という話は僕のところでもよく聞きます。正直言って、ここまであちこちの場面でみんなが泣くとは思わなかった。なんでもないようなシーンですら泣いている人がいて、ちょっと予想を上回りました。

―― 映画を見る前の予備知識としては、昭和30年代、東京から来た女の子が防府に住んでいる新子に出会って友情をつむいでいく、ガール・ミーツ・ガールの、いわゆる「児童映画」だと私は認識していたのですが、観てみると、新子や友達は楽しいことばかりではなくて、大人ののっぴきならない現実に直面することになるという。「子どものころはよかったね」というだけの、ほのぼのした夢物語というだけでは終わらない。

 だとしても、小学生の女の子が主人公のアニメ映画に、“オジサン”が泣く。これはどうしてだと思いますか。作品の舞台が懐かしいのかなと思いきや、現在30代、40代の男性は、昭和30年代初期にはまだ生まれていないという。

子どものころの自分にダイレクトリンク!

片渕 まあ、そうなんですね。お客さんたちは、昭和30年への郷愁で泣いておられるわけでは、どうもない。ちょっと違うみたいなんですね。「自分自身の子どものころ」に直結してしまわれるらしいんですよ。

―― 子どもの自分と直結?

片渕 断絶してしまっていた何かともう一度出会えたみたいな。再統合を果たせたような。そういう喜びなんじゃないかなという気がするんですね。遠い昔に存在していたもうひとりの自分と突然再会して、もう一度ひとつになれた、みたいなことなのかな、という。

―― その断絶していた何かというのは、言葉にすると何だと思いますか。

片渕 それは「自分の人生の歴史」なんじゃないでしょうか。

―― 自分はいま、まさしく自分の人生を全部携えて生きているのではないですか?

片渕 ……「大人になる過程で置き去りにしなくちゃならなかった自分の人生の歴史」って確かにある。今、ここにいる僕たちは、過去とつながった人生、というよりも、どうしても現実のそのときそのとき、刹那で生きざるを得ませんよね。一生懸命生きている大人だから。

―― はい。

片渕 だけど「マイマイ新子と千年の魔法」を観ることで、これまでのずっと長い、それこそ物心がついてから自分が生きてきた人生の道のりの、その「全体」と突然対面してしまう。自らが子どものころに抱いていた楽しさとか憧れとか、そんなキラキラした宝物みたいなものを突然思い出してしまう。人によっては、「あの頃の残念な気持ち」だったりするのかもしれませんけど。この映画はそういう呼び水になってるのではないでしょうか。

―― 映画を通して、自分の生きてきた人生の歴史、ずっとつながっていたはずのものに出会い直してしまう、ということですね。

片渕 はい。そういうことがある種のカタルシスとなっているのではないかなという気がするんです。「マイマイ新子~」で登場する一面に広がる麦畑の片隅に咲く花とかを見て、急に涙が出てくると。みなさん、「なぜ泣いているのか自分でもよく分からない」とおっしゃるんだけど、でもそれは悲しい涙じゃない、喜びの涙であるという。

 みんなが麦畑で遊んできた歴史を持つわけじゃない。それは、画面の麦畑にではなく、元々ご自分の中に存在してたもので泣いておられるんじゃないかなあ。今こうして仕事に行っている大人の自分の中にかつてはあった子ども時代のあれやこれやをよみがえらせて。

―― なるほど。

片渕 そして、その涙は、「もう子どもの時代には戻れない」という訣別の悲しみじゃない。あの子ども時代の自分と、今の大人である自分は間違いなく同じひとりの人間で、ちゃんと繋がっているんだと実感できたから。取り戻せたから。そういうことなんじゃないかなと。そう思うことにしてるんです。

泣かせるつもりはなかったのに

―― どうしてそのような映画になったのかが気になります。

片渕 ですよね。でも、僕も意図して「泣かせるぞ」、という気持ちで作ったわけではないんです。自分自身、ウエットな映画は苦手ですし。

―― そう言われてみれば、「このシーンが泣ける」というような、特定の場面に涙腺を刺激されたわけではないんです。本作が、“オジサン”が泣くことと一番リンクした要素は、どんなところだと思いますか。

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