南瓜が食べられないという年配者の話を聞いた。
疎開先でカボチャばかり食べていたそうだ。カボチャといっても、食料難の戦時中では、ようやく口にすることができたありがたい代物。当時はそれで飢えを凌いだわけだが、味覚とセットになっているぶん、思い出してしまうのだとか。
「食べられないわけではないけれど、食べません」。きっぱりとした口調が印象的だった。
人間、抱く考えは変化しても、「食の記憶」は消えないものだ。
朝昼晩と「ご飯、納豆、みそ汁」で45日、しかも安い給金で働かされたなんてことがあったら、これはこれで一生忘れられないだろう。本書に収録されている、北海道日高の昆布漁のアルバイト体験を語る北原さんの恨みは、すでにネタの域に達している。
45日間納豆攻めという「ヌルジコク」
学生時代の夏季アルバイトで、漁師さんの家に住み込みで働くことになった。北原さんの場合、レジャー気分もあったのだろうが、行ってみたらそこは観光どころではない。ツライのも、たんに労働がキツイとかでもなかった。
毎日が納豆。さすがに我慢しきれず、30分かけてスーパーまで歩いて、パンを買った。だれがどこで見ていたのか。帰るなり怒られたそうだ。
「お前、表でパンとか食うなよな。うちで何も食わしてないみたいじゃねえかよ」と。
北原さんだけが特別じゃなかったらしい。バイト仲間のメシ事情はどこも似たりよったり。初日の歓迎会には45人がいたものの、送別会にまで残ったのは13人だったとか。
「よく残った人がいましたね」と著者が聞くと、「帰りの旅費があったら、僕も夜逃げしてました」。
そして仕事納めの日、ジンギスカン鍋がふるまわれた。なんだかんだいっても最後だからね。北原さんは「上座」に座らされる。45日分の慰労の気持ちがこめられていると思ったら、どうも様子がちがう。
どこからやってくるんだか、親戚とか子供連中が30人くらい集まり、細長いテーブルに置かれた鍋は、中ほどに二つ。当然、北原さんの座る上座から鍋までは遠く、
〈「子供が来ますからね。ワーとかいって、僕、子供嫌いじゃないもんですから、かまってやったりしてたら、もう、肉、ないんです」〉
ほかにも家族が入ったあとの、垢だらけの風呂などヒサンな話は続くのだが、問題はやはり「食」である。
〈「それがね、僕、怪しいと思ってるんです。僕、必ず、食べ終わるとそこにいるのがイヤなもんですから外に煙草吸いに行くんですけど、戻ると必ずお茶を飲んでいる。何かね、その間の時間が怪しいなと思って」〉
真偽はわからないが、こっそり家族だけで「うまいもの」を口にしているのではないか。関係ないかもしれないが、そのウチの息子が乗り回しているのが「いいクルマ」で、なのに毎食食卓に並ぶのは納豆だけ。奉公人を安くこき使うというのはこういうふうなことなんだろうなという図である。
とはいえ、北原さんは文句を言えなかったんだろうなぁというのが伝わってくる。世の中にはもっとヒサンな話はいっぱいある。
たとえば「なんとかの被災者を見よ」みたいに。すごい例を持ち出されたら、そりゃ黙るしかなくなる。でも、言いたい。聞いてもらいたいというのも人情だ。そういうジゴク体験を総称して、著者は「ヌルジゴク」と呼ぶのだ。
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