「アニメから見る時代の欲望」

たとえ一生懸命でも、自分ひとりだけで頑張ってはいけない

映画「マイマイ新子と千年の魔法」片渕須直監督・3

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2010年2月26日(金)

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●作品紹介●

ゆったりとした自然に囲まれた山口県防府市・国衙(こくが)。
平安の昔、この地は「周防の国」と呼ばれ、国衙遺跡や当時の地名をいまもとどめている。この物語の主人公は、この町の旧家に住み、青麦畑を遊び場に過ごす小学3年生の少女・新子だ。おでこにマイマイ(つむじ)を持つ彼女は、おじいちゃんから聞かされた千年前のこの町の姿や、そこに生きた人々の様子に、いつも想いを馳せている。
彼女は“想う力”を存分に羽ばたかせ、さまざまな空想に胸をふくらます女の子であり、だからこそ平安時代の小さなお姫様のやんちゃな生活までも、まるで目の前の光景のようにいきいきと思い起こすことができるのだ。そんなある日、東京から転校生・貴伊子がやってきた。

公式ホームページより引用・編集)

(C)2009 髙樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会
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―― 「マイマイ新子と千年の魔法」で泣いたお客さんは、最初は30代以上の男性が多かった。“オジサン”たちがなぜ泣いたかというと、ふだんは現実を最優先しなければならない立場にいるから、心にフタをしているんじゃないか、という。

片渕 はじめは、30〜40代の男性の感想が、まず伝わってきました。ですからオジサンだけが泣くノスタルジー映画なんじゃないかと疑われました。

 だけど、大学の映画学科で学生たちを対象に試写をしてみたら、スクリーンの前の暗闇の中がすすり上げる音でいっぱいになっていきました。女性の観客も同じように涙を流されますし、じゃあ、少し以前の日本の風景を映してるから日本人だけがそうか、といえば、実は海外の方もなんです。この映画には、世代や性別、国籍を越えて感情に訴えかける部分があるようなんです。

―― この映画の効能は、忘れかけていた子ども心を思い出させることだからですね。

オジサンの心のフタはどうしても重くなる

片渕須直(かたぶち・すなお)
1960年大阪生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業。宮崎駿監督が参加した日伊合作のTVアニメーション・シリーズ「名探偵ホームズ」で、脚本、演出補。89年の宮崎駿監督作品「魔女の宅急便」でも演出補を務める。96年の世界名作劇場「名犬ラッシー」では監督。2001年、劇場アニメ作品「アリーテ姫」では監督・脚本。同年にゲーム作品「エースコンバット04 シャッタードスカイ」にムービーパート監督・脚本として参加。06年のTVアニメ・シリーズ「BLACK LAGOON」では監督・シリーズ構成・脚本を担当。その他、数々のアニメーション作品に携わる。

片渕 だけど、まあ、そのオジサン的世代に観てもらいたいという気持ちはたしかにあります。子どもたちにも観てもらいたいんですけど、それと同等くらいに、ですね。なぜなら、自分自身もそこに含まれるからです。

 オジサンたちは心のフタが重くなくちゃやっていけない。現実を優先したら感受性がどうしたなんて悠長なこといってられませんものね。歯を食いしばっているようなそんなフタならば、ときには開けていただいたほうがいい。何より、そうしたことが、今、目の前にいる人を「あきらめないで」と言ってくれる「味方」にする第一歩なのかもしれません。

―― 味方を作るのに、どうして感受性が必要なんでしょう。

片渕 それは、この映画を通して述べようとしたことそのままです。目の前にいる人の心の中を察する想像力の大事さ、それから自分自身にとってなにが大切なのか、自分のことを知っている、そういうことだと思うんです。

 「マイマイ新子〜」の音楽を担当してくださった村井秀清さんが、映画の公開が始まってすぐに娘さん2人を連れて見に行かれたそうなんです。娘さんと一緒に改めて「マイマイ新子〜」を見て、「次は自分ひとりでこれを観たい」と思ったということだったんです。

 なぜひとりで見たいと思ったのか、泣いているところを見られたくないと思ったのか。本人に聞いていないので分からないですけど……何なんでしょう、いつもはフタをしていたものを開いて、その中にいる自分と向き合ってみようとされたのかもしれないですよね。

―― 自分の感受性にフタをしてしまうことと、他人に心を開けないことは、似ているような気がしてきました。“オジサン”たちに限らず、社会で働く大人は、どうすれば感受性を理屈でフタをせずに生きられるかと。職場でも、仕事のチームでも、相手に必要以上に関わらないというのは、自分自身にフタをした状態なのかなと思うのですが。

片渕 まあ、恐れるところがあるのかもしれませんね。

―― 恐れる?

片渕 さらけ出すって、怖いです。フタを開けると中身が見えてしまうんだものね。怖いですよ。

 「えっ、お前、あんなこと面白いと思ってるの?」「あんなことで泣けるの」そう人に指摘されちゃうと思ってしまうんじゃないですか。

 「面白いものは面白いんだよ、俺がここで泣いたのは本当のことなんだよ」と、相手に言えるかどうか。自分の感受性を大事にする、自分をしっかり持つというのは、案外そんなところから始まるのかもしれません。

 人に何かを言われるのが怖い状態だと、真の意味での「意見交換」ってできないですよね。良い点も悪い点も言い合えて、相手を受けとめたり、受けとめてもらったりするときに、始めて「他人」は「味方」になり得るんじゃないかと。

 ……何となくね、初めは「マイマイ新子〜」については、みんな、言いにくかったんだよね。自分が児童映画を観て泣いたというのは。「俺は泣いちゃったんだよ」、「えっ、実は俺も泣いたんだよ」とさらけだしたら、ああ、今、俺は泣いてもいいんだ、とか思うんですよ、みんな(笑)。

―― 感情を吐露するのに、許可なんていらないですよね。本当は。

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著者プロフィール

渡辺由美子(わたなべ ゆみこ)

1967年、愛知県生まれ。椙山女学園大学を卒業後、映画会社勤務を経てフリーライターに。アニメ・コミックをフィールドにするカルチャー系ライターで、作品と受け手の関係に焦点を当てた記事を書く。男性と女性の意識の差を取材した記事も多い。著書に「ワタシの夫は理系クン」ほか。



このコラムについて

アニメから見る時代の欲望

アニメーションは、頭の中で望んだことを描き動かすもの。作り手の嗜好を忠実に映像化することができる。そして作り手は、視聴者の欲望をいかに捉えるかに常に腐心している。アニメにこそ、時代の欲望が見えるのではないか? そんな仮説を手に、日々アニメ制作に臨む監督たちにインタビューを申し込んでみた。

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