―― 2005年制作のTV版「交響詩篇エウレカセブン」の4年後に製作された劇場版「交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい」ですが、途中から拡大上映が決まるなど、若者から大きな支持があったそうですね。
京田 実際のところ脚本で難航しました。というのも、劇場版「交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい」の企画を練っているあたりから、「僕らの世代には何ができるのか」ということを作品的テーマに盛り込めないかという気持ちになってきたんです。
―― 「世代」ですか。なぜそのような気持ちになられたのでしょうか。
●作品について●
西暦2009年、南極大陸で謎の生命体イマージュが発見された。宇宙より飛来したといわれるイマージュは、地球の侵略を開始。以降、人類を統べる人民中央政府はイマージュ攻略のための研究と、殲滅のための戦闘をおよそ半世紀にわたり展開することとなった。西暦2054年、人民解放軍のホランド・ノヴァクが指揮する戦闘母艦・月光号は、イマージュに攻撃される基地から、最重要機密を確保する作戦を実施する。少年兵レントン・サーストンは、パートナーのニルヴァーシュを駆って基地に潜入。そこに幽閉されていた少女・エウレカと再会する。(※「交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい」公式パンフレットより引用、編集。リンクはhttp://www.eureka-prj.net/#)映画はテアトル系映画館で、モーニング&レイトショーを中心に全国6館で封切られるが、全ての劇場で初日初回満席スタート、動員好調により、6月には16館に増やしての拡大上映が決定した。観客動員7万人、興行収入1億円、ソフトはDVD・BDなどの合計で8万2000枚を突破した。
京田 作品作りのキッカケというのは、多くの日本人にとっては、先人たちが作り上げた作品を見た僕らが、それによって得た快楽・感動に影響を受けるというものがあると思うんです。何か伝えなければならないという驚異的な体験・事件にでも遭っていない限りは、そうそうはない。それは僕自身そうです。
結局のところ普通の日本人にとって、その蓄積された言語的情報の差異はあるにしても、影響、つまり「コピー」もしくは「コピーの変種」の積み重ねでしか作品は作れないのではないかと思ったんですね。
すでに10年以上前に、僕らの上の世代のクリエイターが「自分たちはコピー世代だ」と言っているのですが、そんなことを言ったら、もはや僕らの世代は「孫コピー世代」です(笑)。そして悲しいかな、そもそもの「コピー元」は、どんどんその存在を忘れさられている。これだけネットやアーカイブが多数成立しているという印象なのに、です。
―― 作り手としては、今の時代には、もはや「オリジナル」は作れないのではないか、という危機感があるのですね。
京田 だからこの先、残されているのは「コピー」を「オリジナル」として認めていく方法しかない。
既存のありものの「コピー」に過ぎない「オリジナル」を、いかに「孫コピーではない」と見せるか、という方法論しか残されていないと感じたんです。でも本当にそれで良いのだろうかと。僕らは本当に、何も創り上げることは出来ないのだろうかと、ふと思ったんです。
―― うかがっていて思ったのですが、自分たちの世代が、上の代が作ってきたシステムの、“孫コピー”をしているだけなんじゃないか、という認識が、今の閉塞感につながっているのかもしれませんね。
しかし、そうは言っても京田監督は劇場版の前に、TV版の「交響詩篇エウレカセブン」でオリジナル作品を作られたのですよね。「エウレカ」自体が、オリジナルではないですか。

1970年1月22日生まれ。大阪府出身。武蔵野美術大学造形学部映像学科卒。グラフィックデザイナーを経てアニメ演出家。2003年、劇場版「ラーゼフォン 多元変奏曲」で監督デビュー。2005年にTV版「交響詩篇エウレカセブン」、2009年、劇場版「交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい」で監督を務める(写真:星山 善一、以下同)
京田 TV版の「エウレカ」は、僕が体験してきたサブカルチャーの集積体というところがあるんですよ。音楽、デザインなんかは、自分たちの世代が好きなものを取り入れたものにすぎません。
もちろんそれは、作品内容を表現する上で最適なものを選んだからに過ぎないのですけれど、結局のところ、それは既存のものを「選んだ」だけであって、決して生み出したわけではないと思ったんです。
―― TV版「エウレカ」の音楽やデザインなどは、私個人はこれまでのアニメーションにない斬新な表現だと感じていましたが、そのカルチャーを知っている人には“既存のもの”だったということですか。
京田 そうです。そのカルチャーを知らない人、あとは同じジャンルが好きでも年若い人には新しいものとして受けとめていただいたようですが、僕としては、単に好きだというだけで、そのカルチャーの美味しいところをつまみ食いしているだけなのではないか? という疑念がずっと消えなかったんです。
だから、劇場版を作るときに、今度はそこを踏み越えていきたいなと思ったんです。
―― 劇場版のときは、どんな「オリジナル」を作りたいというふうに思ったのですか?
京田 自分のオリジナルを作りたいということがゴールではなかったんですよ。僕らはいろいろな情報をすでに知ってしまっているので。完全なオリジナルにはなり得ないと思うんです。
ただ、自分の心の中にある障壁として、何かしようとすると全部、前例がある。既存のものに行き当たってしまうという。これが苦しくて、劇場版制作で最初にやるシナリオ作りの作業が難航したんです。
―― 何かしようとすると、全てが既存のものに行き当たってしまう。そのジレンマをどのように乗り越えていきましたか。
京田 「これはコピーかどうか」ということを、まるっきり考えないでいくことにしたんです。
前例があってもなくてもいいじゃないかと。「これは前例があるのかどうか?」ということを、あえてまったく考慮せずに、自分が考えているイメージをだけをどんどん純粋化していくという作業をやっていきました。
前に同じものはあったのか? これはコピーということになるのか? そういう「情報」に振り回されるのはもうやめようと。吹っ切れてから、ああ、そうか、このことを物語の基軸にすればいいのか、という構想が確定したんです。
―― 「情報」という言葉が興味深いですね。これはコピーなのかどうか? と“検索”をかけるのも、情報に振り回されている状態であると。
京田 そうですね。だから、「情報」を意識するのを止めた。そこが今回一番僕自身が変わったことだし、結果的にフィルムに入ったテーマだったと思います。
情報の「量」に振り回される人たち
京田 その時はあまり意識しないで作っていたんですけれども、振り返ってみると、アクチュアル、今の時代性みたいなものが出たとしたら、「情報量が全ての鍵」ではない、と感じたことだと思うんですよ。
―― 作中に登場した「神話」というものの描かれ方が、「情報」と似ていますね。「神話」と呼ばれる世界の未来が書かれた伝承の通りにすれば人類は救われるとした人々が、「神話」のシナリオ通りに物事を進めようとする。
京田 神話に書いてある通りにすることが、唯一幸せになれる方法だと思っているという。作中で言う神話は、「情報」だと言えるかもしれません。
ポストモダン論で言うところの「大きな物語」ってありますよね。
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