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ローマ皇帝が「本も読めない日々だけど、おたがいがんばろうぜ」と肩を叩いてくれた

『自省録』マルクス・アウレーリウス著

2010年3月9日(火)

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ぼくの「課題」

なぜならぼくは、できそこないの人間だから。
「自然」に、「普通」に生きることができない。「あたりまえ」とはどういうことか、実感がもてない。
何をどうしたらいいのか、いつも考えて、過剰に意識的に振る舞う。

「コップに水を汲んで飲むだけなのに、なぜそんなに真剣な顔してるの?」

そう聞かれたことがある。「なぜ」だって? ぼくは、何をするにも、正しい位置を測定し、手順を考え、自分を操作し続けなければいけない。「自然」も「普通」もないのだから、きっちり自分をコントロールしなければ何もできない。いつもと同じようにそうしているだけだ。

なんて、めんどうくさいのだろう。
できそこないが生きるということは!

どうにかして、せめてもう少し、スムーズに自分をコントロールできないか。
これが10代からの、ぼくのひとつの課題だった。
いつか考えよう、というわけにはいかない。既に人生は、生活は、始まっているのだから。暫定的でもいい、今、すぐに答えが欲しい。

宿題に追われて机に向かう小学生のように、ぼくはいつも自分の「課題」に急き立てられて考えていた。そして、ヒントを求めて本に手を伸ばすのだった。

図書館めぐりのころ

考えなければならない「課題」は他にもたくさんあった。それら「課題」の答え、あるいはそのヒントを求めて、いわば「課題図書」を設定して、ぼくは本を読み進めていた。それでもう手一杯で、「おもしろそう」という理由で本を読むことはなかった。だから、結果としてたくさんの本を読みはしたけれど、ぼくは「本好き」や「読書家」とは、少し違うような気がする。

とくに10代終わりから20代はじめのころは、学校、地元、通学路など、合わせて5か所の図書館を駆け巡り、借りられるだけの本を借りて読み、メモをとった。また、かなりのページをノートに書き写しもした。
何回も借り直して熟読した本もあるし、一回サッと目を通しただけで返却した本もある。親しく会話を交わしたその声を懐かしく想い出す本もあるし、「たまたますれ違っただけ」といった程度のつきあいですぐに忘れてしまった本もある。

『自省録〔じせいろく〕』は、そのころ、おそらく何かの参考文献として手に取ったのだと思う。これは、哲学的な内容の短い文章を集めた本だ。
書いたのはマルクス・アウレーリウス(121年生-180年没)。第16代ローマ皇帝だ。「哲人皇帝」とあだ名され、「五賢帝」のひとりに数えられる名君である。

優等生すぎる『自省録』

『自省録』には、こんなことが書いてあった。

 他人の厚顔無恥に腹の立つとき、ただちに自ら問うてみよ、「世の中に恥知らずの人間が存在しないということがありうるだろうか」と。ありえない。それならばありえぬことを求めるな。

 人に助けてもらうことを恥ずるな。なぜなら君は兵士が城砦を闘い取るときのように、課せられた仕事を果たす義務があるのだ。もし君が不自由であって、胸壁を一人では昇ることができず、ほかの人の助けを借りればそれができるとしたらどうするか。

他人の言動や評判に振り回されることなく、ただ自身のやるべきことをやり遂げよとマルクス・アウレーリウスは言っている。
確かにぼくは、せせこましい日常の中で、自分自身でさえくだらないとわかっている小さな摩擦やかすかな引っかかりに、いちいち傷ついたり消耗したりしている。変な律儀さを発揮して、かえって能率を落として義務を果たせないこともある。そんなやつには、これは適切なアドバイスだ。

しかし、このような言葉を立て続けに聞かされると、あまりにも正しすぎやしないかと思う。
立派すぎて、まともすぎて、距離を感じないか。
教室の黒板の上に貼られた標語のように、おっしゃるとおりだが、優等生すぎて、少しも心に残らない。

この本は、まさに標語を一瞥するように、サッと「目を通しただけ」で、すぐに図書館に返してしまった。本と会話を交わすどころではなく、たった一言の声さえ聞かなかった気がする。

十数年後の再会

『自省録』を読み直したのは、それから十数年後。ぼくは30代の後半になっていた。

再読のきっかけは、病気のことだ。

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