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「生きている以上、オレには責任がある」・・・しょっぱい年になって初めて思った

「劇場版 交響詩篇エウレカセブン」京田知己監督・3

  • 渡辺由美子

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2010年3月19日(金)

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 今の時代は、人が感情で動くというシンプルなところが失われがちで、ロジックで予想可能な範囲内でのものづくりが強いられている。京田監督は、劇場版「エウレカセブン」の中で、感情だけで動く主人公や、行動の見えない“ブラックボックス”なキャラクターを入れて予測不能な部分や不可解な部分をあえて残したということでした。

 ラストでは、その「感情で動く」レントンに影響されて、「情報で動く」ホランドたちが変わります。

●作品について●

 西暦2009年、南極大陸で謎の生命体イマージュが発見された。宇宙より飛来したといわれるイマージュは、地球の侵略を開始。以降、人類を統べる人民中央政府はイマージュ攻略のための研究と、殲滅のための戦闘をおよそ半世紀にわたり展開することとなった。西暦2054年、人民解放軍のホランド・ノヴァクが指揮する戦闘母艦・月光号は、イマージュに攻撃される基地から、最重要機密を確保する作戦を実施する。少年兵レントン・サーストンは、パートナーのニルヴァーシュを駆って基地に潜入。そこに幽閉されていた少女・エウレカと再会する。(※「交響詩篇エウレカセブンポケットが虹でいっぱい」公式パンフレットより引用、編集。リンクはhttp://www.eureka-prj.net/#)映画はテアトル系映画館で、モーニング&レイトショーを中心に全国6館で封切られるが、全ての劇場で初日初回満席スタート、動員好調により、6月には16館に増やしての拡大上映が決定した。観客動員7万人、興行収入1億円、ソフトはDVD・BDなどの合計で8万2000枚を突破した。

(c)2009 BONES/Project EUREKA MOVIE

―― それにしてもホランドたちはものすごいリスクを取りましたね。最初は大人たちの実験のせいで短命になるという状況に置かれたことに恨んで、「ネバーランド」という時が止まった世界を選ぼうとする。けれども、恋人の新たな命の誕生を知り、時間が動いていく現実世界を取る。それは同時に、ホランドたちの寿命が早く尽きるということになるわけです。どうしてリスキーな選択をあえて選ぶ結末にしたのでしょうか。

京田 本作の物語は、単に「生きのびる」というところから始まり、そして「未来を獲得していく」というところに次第に移行していくように作られています。その最大の山場は「未来を自分で選んでいくには、もしかするととんでもない対価を支払わねばならないかもしれない。それでも選べるか」、というものです。

―― ホランドたちの場合は、未来を選ぶことで、かえって生きていられる時間が減る、ということですよね。それも「未来を選ぶ」ということだと?

京田 人には、生きていることへの責任がある、ということを描きたかったんです。

―― 生きていることへの責任、とは。

京田 知己(きょうだ・ともき)
1970年1月22日生まれ。大阪府出身。武蔵野美術大学造形学部映像学科卒。グラフィックデザイナーを経てアニメ演出家。2003年、劇場版「ラーゼフォン 多元変奏曲」で監督デビュー。2005年にTV版「交響詩篇エウレカセブン」、2009年、劇場版「交響詩篇エウレカセブンポケットが虹でいっぱい」で監督を務める(写真:星山 善一、以下同)

京田 僕は「生きていると、それだけで自分の神話ができてしまう」と思っているのですが……自分のやって来たことが、どんなに納得できないものだとしても、それが自分の生きてきた軌跡であり、痕跡には違いないということですね。ホランドたちだって、「時間を止めたいんだ」と言いながら生きているわけです、その瞬間にも。

 自分たちは子供のままでいたいんだと言ったところで、必然的に年は取っていくし、生きてきた痕跡ができてくる。それこそ「歴史」ができてきてしまうわけですよね。

 ホランドたちは、現在の状況はどうあれこれまで生きてきた。自分たちが生きてきた中で培ってきたものがあって、それは彼らからしたらネガティブなことがほとんどなのかもしれないけれども、人生の中で「為してきてしまった」ことがある。

 その、自分が生きて作ってきた「歴史」に対しては、責任を取らなきゃいけないと思ったんです。

 ホランドにとっては、恋人が宿した新たな命への認識が、「次の世代がいる」という認識に繋がったんですけど、もしも彼が、それでも責任を負わないで、次の世代に責任を押し付けてしまったら、それは無責任ではないかとも思ったのです。だからお話では、ホランドたちが、自分たちが大人たちにされたことに対して、後の世代にも同じことをやるという、鏡のような切り返しじゃなくて、(このままでは寿命が早く尽きてしまうという)現状を受け止めつつも、違う結論を出すことで、負の連鎖を解いていく形にしました。

 彼らが生きてきた責任を自ら果たすことで、状況は少しでも変化していくという、ややほろ苦いハッピーエンドですね。

「ここはもう最前線なのだ」という自覚

―― 監督が、「生きている責任」というものを意識し始めたきっかけというのはありますか。

京田 時期的には、この劇場版「エウレカ」を作るということが決まったくらいだと思います。36~37歳くらい。仕事の中で、「孫コピー世代」である自分たちにだって、責任は発生するんじゃないの、と考え始めて。

―― 自分たちの世代にも責任は生じると。それは社会的な責任みたいなものでしょうか。自分たちの世代がしたことは、自分たちの世代で落とし前をつける、というような。

京田 社会的なものに関しては、それほど気にしてはいなかったんですけれど……僕の中で個人的に1つ大きかったのは、じいちゃん、ばあちゃんがいなくなってしまったことなんです。父方も母方も。

 じいちゃんばあちゃん世代がいなくなってしまった。そのときに何となく思ったのが……1つ上の世代といえば、まぁ親の世代の世代なわけで、親父たちの世代がフロントラインに立って、僕ら子供たちに限らず、社会を引っ張ってきてくれていた。僕らの世代から見たらじいちゃんたちの世代は、とっくにフロントラインから引退していて、今まで引っ張ってきた分、まあ、楽してもいいよという世代だったわけで。

 それで、じいちゃんたちの世代が全員いなくなったときに、親父たちの世代が引退したときのことを考えたんですね。「やばい、俺ら、もうすぐフロントラインに立たなきゃいけないんじゃないの?」と。

 じいちゃんが亡くなったときは、僕はまだ大学生だったんですけど、今回の「エウレカ」を作っているときに、ばあちゃんも死んで……もう完全にフロントラインに立ってしまったな、という気持ちになったんですね。

―― フロントラインというのは、世代のバトンというようなものでしょうか。

京田 バトンというよりも、最前線の兵士という感覚に近いですね。カッコつけて言えば。

―― 最前線で、何と戦うんですか。

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