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「私たちの学校もそうだった。日本だって変われるんじゃないか」

2010年3月26日(金)

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 ニュージーランドで1989年に導入された新しい教育制度は、保護者が学校を統治(ガバーン)する、「究極の民営化」だった(前回「『明日の学校』は、経済危機によって生まれた」参照)。しかし、このドラスティックな変化は、現場ではどのように受け入れられたのか。

 当時の「当事者」、現場で校長として変化に立ち会ったブルース・ブリジェス氏に聞いてみると、こんな答えが返ってきた。

「もちろん、混乱はあった。特に、ガバナンスとマネジメントの混同は、発足した時には大きな問題だった。保護者の統治に警戒心を持った校長は、まさにその点を不安に思っていたのだろう。校長にとって雇用者である理事会が、本来のガバナンスの枠を越えて日々の学校の運営についてまで、口を出してくることが実際にあった。これは次第に改善されたとはいえ、今もあちこちで起こっていることかもしれない」

 具体的に言えば、ほかの保護者からたまたま得た情報をもとに教員の評価について変更を要求したり、年度末に作成する生徒の成績表の書式について細かな指定をしてきたり、といったことがあったという。

「もうひとつ、理事会メンバーが常に変動するという問題もあった。3年ごとに変わってしまうこともあれば、18カ月のこともあるが、理事会の方針が不安定では、現場は混乱する。私は常に新しい理事会メンバーにはNZSTAの研修に出席するよう薦めてきた」

 とのこと。

 それでは、1989年の前と後では、どちらがよかったか。
 質問は単純明快。そして、回答もひと言。

「今の方が、絶対にいい!」

 シャーリー男子高校のジョン・ローレンソン校長は、8歳の時にスコットランド人の両親とともにニュージーランドに渡ってきた。自分自身のことはスコティッシュであるよりもまずキウィ(ニュージーランド人)だと感じている。

 数多くの高校を渡り歩いてきており、1980年代から校長補佐などマネジメント側の仕事に携わるようになった。実際に校長になったのは1996年だが、「明日の学校」元年である1989年は副校長として、保護者コミュニティの組織化や、学校憲章の起草などを自らの手で行ったそうだ。現在、シャーリー男子高校は、日本とのつながりが深く、東京の目黒学院高校、名古屋の東邦高校、広島の安芸南高校などと「きょうだい校」の関係にある。留学生もしばしば受け入れている。

 そんなローレンソン校長だから、執務室を訪れたぼくと最初に話題にしたことは「日本とニュージーランドの教育の違い」について。

「提携相手の日本の学校や、留学生を受け入れている韓国の学校を訪ねることがあるが、ニュージーランドとはスタイルが違う。教師の話を一方的に聞く、先生中心の授業が多いね。ニュージーランドではむしろ生徒が教師と一緒に授業を創る発想になる。また、日本は物質的に豊かだとよく感じるよ。コンピュータがクラスごとに配置されており、回線も非常に速い」

 ローレンソン校長は高校の現状について語っている。コンピュータについては、日本では小学校にはあまり普及しておらず、少なくともクラスごとにネット接続したものがある、という恵まれた環境は、ぼくの身の回りの公立校にはない。逆に、こちらに来て、セントマーチンズ小学校ではすべてのクラスにコンピュータがあるのを知り、びっくりしたほどだった。もっとも、回線速度については指摘の通りだ。こちらではADSLが最上のブロードバンドで光ケーブルはほとんど普及していない。

トイレットペーパー購入にさえマニュアルがあった

 何はともあれ、「明日の学校」導入当時の件。

「前の年から、ピコット報告に基づいた議論がされていたから、心の準備はできていた。やはり、現場のマネジメントとしては、歓迎する声が大きかったと思う。今、あれ以前に戻れといって、喜ぶ校長はいないだろう。学校は官僚組織の末端で、何をするにも教育委員会にお伺いを立てなければならなかったのだから」

 1989年以前のニュージーランドの教育現場は、他のセクター同様に、非常に厳しい規制でがんじがらめになっていたという。「分厚いグリーンブック、というのがあった」とローレンソン校長は、両手の手のひらを10センチくらい離して、その厚さを表現した。

「学校に関する法規をすべて集めたもので、トイレットペーパーが少なくなってきて新しいものを買うのでさえ、いちいち参照しなければならなかった。所定の用紙で教育委員会に申請すると、特定の業者を指定され、おまけに納入が遅い! あの頃を考えれば、今のやり方は実に理に適っている」

 そして、日本や韓国の教育についてまた言及する。

「日本や韓国の企業はフレキシブルで決断が早い。トヨタ、ニッサン、ミツビシ。サムソンにヒュンダイ。しかし、学校は硬直している(リジッド)と感じることがある。20年以上前の、私たちの学校もかつてそうだった。日本だって韓国だって、変われるんじゃないか」と。

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「「私たちの学校もそうだった。日本だって変われるんじゃないか」」の著者

川端 裕人

川端 裕人(かわばた・ひろと)

文筆家

1964年、兵庫県明石市生まれの千葉育ち。日本テレビの記者を経て作家に。『夏のロケット』が第15回サントリーミステリー大賞優秀作品賞、「SFマガジン」で「青い海の宇宙港」を連載中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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檜山 敦 東京大学先端科学技術研究センター 講師