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iPadは、本棚なきコトバダイバーたちを生む

2010年4月2日(金)

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 2010年は国民読書年なのだそうだ。
 読者諸兄はご存じだったろうか。
 私はつい三日ほど前に知った。

 前々から、見かける度に気になっていた「コトバダイブしよう」という奇妙なCMの正体を探るべく、「コトバダイブ」を検索してみたところ、国民読書年に言及した政府公報のサイトに行き着いたのである。

 サイトでは、国民読書年の意義について、以下のように述べている。

「平成20年6月の国会決議により、2010年を『国民読書年』とすることが定められました。近年は、学校での『朝の10分間読書運動』が浸透したり、学校だけでなく家庭、地域全体で読書を推進する『読書のまちづくり』が広がったりするなど、読書に対する国民意識が再び高まりを見せています。決議では、こうした気運をさらに高めていくため、2010年を『国民読書年』と定め、政官民が協力し、国をあげてあらゆる努力を重ねていくことが宣言されています。今後、図書館をはじめ、さまざまな場所で、国民読書年にちなんだ行事や取り組みが推進されていく予定です。」

 なるほど。

 私が抱いている感じでは、学校で「朝の10分間読書運動」が行われていたり、「読書のまちづくり」を推進する自治体が現れていたりするのは、読書に対する国民意識が高まっているからではない。逆だ。国民の生活から読書の習慣が失われつつあるからこそ、その現状に危機感を抱いている一部の人々が、読書を啓発する運動を展開している、ということなのだと思う。おそらく、国民読書年の制定も、同じ流れの中の出来事だ。

 が、果たして、「コトバダイブしよう」という公共広告によって、思惑通りに読書熱は上がるものなのだろうか。
 疑問だ。
 というよりも、国民読書年というこの運動自体、構造不況業種のためのバラ撒き施策ではないのだろうか。外装がコンクリートではないというだけで、実態は公共事業だ。そんな気がする。

 国民読書年の推進母体である財団法人文字・活字文化推進機構(ホームページはこちら)も、なんだか意味不明だ。天下り法人とまで言い切るつもりはない。でも、雨乞い法人ぐらいな感じはする。あるいは甘ったれ法人。いずれにしても、素晴らしく有用なイメージは湧かない。コトバダイブ。言葉の投身自殺。なんという無残な。

 今回は、活字および読書について考えてみたい。
 活字の未来や末路や断末魔については、すでに色々なところに書いた。ウェブ上で見られるテキストでは、たとえば、ここでも、かなり詳しく述べている。だから、本稿では、重複を避けて、電子出版関連の話題に焦点を絞りたいと思っている。

 活字の未来は、電子出版の先行きと深く関連しながら歩むことになる。
 補い合うのか、食い合うのか、あるいは、いずれかが他の一方をツブしてしまうことになるのか、現在の状況からは、まだ明確な結論は見えてこない。が、ブレイクスルーは、そんなに遠くないと思う。5年もしないうちに、はっきりとした結果が出てしまっているかもしれない。

 すでに、Kindle(Amazon)、iPad(Apple)、Reader(Sony)など、各社の電子書籍端末が、いよいよわが国でも本格的に売り出される運びになった(iPadの発売は4月3日)。さらにこのほど、大手出版31社が、「電子出版協会」を発足した(「紙と共存共栄を」――大手出版31社が「電子出版社協会」発足)。記事はこちら

 いずれのニュースも、大きな意味を持っている。
 とにかく、何かがはじまりつつある。
 こういうタイミングで予断を述べることは、後日の恥をリザーブする態度に近いのかもしれない。が、私は、この世界に入った時、ある先輩に、先走りの恥は買ってでもかけという意味の教えを与えられた。呪いだったのかもしれないが。いずれにしても、思ったことは書く。でないと仕事にならない。

 話題の電子書籍端末には、まだ直接触ってはいない。
 でも、見当はつく。

 ビューワー(読書用の媒体)としての利便性や機能は、たぶんたいしたものではない。
 軽さ、価格、見やすさ、一覧性(ブラウザビリティ)、携帯性、寒冷地や暑熱化での使用、バッテリー性能、表現力などなど、あらゆる点で、紙には勝てない。当然だ。紙には何千年の歴史があり、一方、液晶画面は小生意気なティーンエイジャーに過ぎない。
 とすれば、紙の書籍がただちに駆逐されることはあり得ない。

 でも、問題は、読書用の端末としての機能や使い勝手ではない。
 おそらく、iPadの真価は、書庫としての潜在能力だ。

 たとえば1ギガバイトのSDカードには、単純計算で、10億7374万1824文字分(日本語ならばその半分)の情報が格納できる。
 これを、一般的な新書の文字数(たとえば『テレビ救急箱』中公新書ラクレ)の文字数(41文字×15行×222ページ=136530文字程度)で割り、半分にすると、約4000になる。つまり、あのちっぽけな切手サイズの薄片は、新書を4000冊分呑み込むことができるのだ。

 もちろん、図版要素などを勘案すると、この数字はずっと小さくなる。
 でも、それにしても、とんでもない量だ。マンションの一室なんかとは比べものにならない。
 おそらく、一人の人間が一生のうちに読む分の本は、すべてiPadに入る。

 うれしいことなのか、悲しいことなのか、私にはまだ、判断がつかない。
 iPadの容量は、最大で64ギガバイトだ。ということは、約7865×64=約503360冊の新書を収納することができる計算になる。50万冊。ちょっとした図書館だ。ちなみに東京都立中央図書館の蔵書数は、148.2万冊。新書で換算するとiPad3台分だ。容量が増えて、1台に入ってしまうのもそう遠い日ではないはずだ。気が遠くなる。

 手のひらに乗る読書用ビューワーは、脅威ではない。
 でも、これを「手のひらに乗る図書館」というふうにとらえなおしてみると、これは、ちょっとしたものだ。
 リアルな本棚には、まず勝ち目が無い。

 つまり、本はiPadに勝つが、書棚は勝てない。不思議な関係だ。
 実際のところ、iPadは、どうなるのだろう。誰に勝つのだ?

 ずっと昔、「本の雑誌」という雑誌の、「本棚特集」の回に、原稿を書いたことがある。
 様々な立場のそれぞれにユニークな読書家たちが、自分と関わりのある書棚について思うところを述べた面白い企画だった。
 が、私のページはちょっと浮いていた。
 というのも、私の原稿は、「本棚なんか要らない」というタイトルで、内容も、ほぼタイトル通り、本は読んだら捨てるべきだという主旨のお話だったからだ。

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「iPadは、本棚なきコトバダイバーたちを生む」の著者

小田嶋 隆

小田嶋 隆(おだじま・たかし)

コラムニスト

1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、紆余曲折を経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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