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労働はどのようにして価値あるものとなったのか

「働く」その2

2010年4月15日(木)

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働くその1から読む)

 近代のヨーロッパの市民社会を構築する上で重要な役割をはたしたのが宗教改革だった。ルターが始めた宗教改革は、信徒と神のあいだに介在する教会のような組織と、神からの許しを請け負う司祭などを否定して、万人が司祭になり、神と直接に向き合うことを目指したのだった。

 この宗教的に自立した個人の理念は、伝統的な身分制度に依拠していた中世の社会を根本から変動させてしまった。伝統的な共同体も教会の組織も、その破産が宣告されたのである。これからは、司祭によって魂を救済してもらうのではなく、個人が自己の救済を確保しなければならなくなった。

労働の役割

 それでは個人はどのようにして自分の魂の救済を確信することができるだろうか。プロテスタントの信徒は、個人の労働や業績や知識や信念などのすべての価値を否定して、ただ神の意思に沿って生きることだけを目指して、生活するようになる。神以外の現世の事物はすべて空しいものであり、こうしたものに価値を与えるのは、「被造物を神の地位に高めること」だと考えたのである。

 そのため信徒たちは、禁欲によって生活を合理化し、与えられた仕事を使命とみなし、ひたすら「神の栄光を高める」ことを目指したのである。「神の聖意にもとづく目的への徹底的な集中、禁欲的倫理から由来するひたむきな実践的合理主義、ものごとに即しておこなわれる経営という方法的な着想」[1]を重視し、生活を規律するという方向に向かったのだった。そこから、「資本主義的企業家にとって必要不可欠な〈倫理的な〉資質と、真面目な労働者の独自な勤労意欲」[2]が生まれたのだった。労働そのものに価値があるのではなく、労働することで結果として生まれる禁欲的な生活に価値が認められたのだった。

近代の労働の逆説

 これはかつて中世の修道院で行われた禁欲を、市民生活のうちに持ち込んだものだった。ところがこの世俗内的な禁欲にも、世俗外的な修道院での禁欲と同じ逆説が発生してしまう。明確な方法に基づいて、合理的な姿勢で、神の栄光を高めるために禁欲的な労働をすること、そして消費を贅沢とみなして、それを生産のために投資すること、それによってどうしても富が蓄積されてしまうのである。

 イギリスのメソジスト派の創始者であるジョン・ウェスレーはこの逆説についてこう嘆いている。「メソジストの信徒たちはどこでも勤勉になり、節約する。すると所有する財産が増えるのである。それに応じて誇りは高くなり、情熱は強まり、肉における現世の欲望も生活における驕りも強くなる。こうして宗教の形だけは残っても、精神は次第に消滅してゆくのである」[3]。労働が富を蓄積させ、その富が神に向かおうとする精神を腐食してしまう。

コメント3

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「労働はどのようにして価値あるものとなったのか」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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