「中山元の哲学カフェ」

人間の本質は自然に働きかける労働にある

「働く」その3

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2010年4月22日(木)

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働くその1から読む)
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労働の人間学

 このように労働が肯定的なまなざしで眺められるには、第一の宗教の道と、第二の市民社会の道徳の道があったが、第三の道として哲学における労働の人間学の道があった。それを代表するのが一九世紀初頭のヘーゲルの哲学である。ヘーゲルは労働を人間と自然の営みとして、人間にとって本質的なものとして描いたのだった。

 この議論は、『精神現象学』における主奴論(しゅどろん)という議論を通じて行われた。これは大切な議論なので、少し詳しくみてみよう。ヘーゲルはホッブズなどの自然状態論を強く批判していた。しかし人間の意識のありかたを提示するために、ある種の自然状態のうちに人間の意識を投げ込んでみる。

自己意識の弁証法

 この意識は、まず自己のもとに安らいでいるが、意識が意識であるために、それは外界の事物に向かう必要がある。意識とは「……についての意識」だからである。やがて意識は自己にたちもどって、意識している自己について意識する。そのときこの意識は自己意識である。

 単独で全能の自我が、非我としての他我を措定するフィヒテとは違ってヘーゲルは、自己意識というものが、単独の自己だけでは実現されないことを承知している。他者が存在し、他者を意識することなしには、そして他者が自己と同等な他者であるということを認識しなければ、意識は人間の自己意識となることはできないのである。「自我は他者に対立して自己自身であると同時に、この他者を超えて包みもしており、したがって他者は自我にとっても、またまさに自分自身であるにすぎない」[1]のである。

 そしてこの自己意識としての自我が、まだ社会というものが成立していない自然状態で他者と出会うと考えてみよう。そのとき、この自己意識は他者を一人の人間として、自己意識をもつ独立した存在として承認する。しかし自己意識はそのことに満足できない。他者もまたひとつの自己意識であり、この自己意識にとって自分は取るに足らぬ存在であるようにみえる。自己意識は他者において自己の自己意識が否定されていることに気づくのである。

 そこで自己意識は、他者にたいして、自己の自己意識を承認することを求める。そのことは同時に、他者の自己意識を否定することを意味する。他者にとっては他人であるこの自分の自己意識をうけいれるように求めることだからだ。

承認を求める闘争

 ここで両者のあいだに、承認を求める闘争が発生する。たがいに相手にたいして、自己の自己意識をそのものとして承認すること、存在するのは自分の自己意識だけであることを認めさせようとするのである。「そこで両方の自己意識の関係は、両者が死を賭する戦いによって、自分自身の、またお互いの証しをたて」[2]ようとするのである。

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「約束する」「働く」「記憶する」――。会社や家庭での何気ない行為を取りあげて、その哲学的な意味を掘り下げる哲学入門コラムです。哲学と聞くだけで、難しくてわからないと思う人は多いでしょう。でも、このコラムは哲学のそんなイメージをからりと変え、ぐっと身近なものにしてくれます。哲学への広き門に一歩、足を踏み入れてください。あなたと世界のあらたなつながりが見えてくるでしょう。

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