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富の源泉は金でも銀でもなく国民の労働である

「働く」その4

2010年5月6日(木)

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エンゲルスの労働論

 ヘーゲルの労働論をもっとも直接的にうけいれたのがエンゲルスである。エンゲルスは人間が動物でなくなるプロセスを次のようにたどっている。まず人間は直立歩行することで、手を使えるようになり、やがて脳が発達する。「手の特殊化、それは道具を意味し、そして道具は人間に特有の活動、自然にたいする人間の変革的な反作用、つまり生産を意味する」[1]

 よく人間と動物の違いとして、人間が道具を作るホモ・ファベールであることが指摘されるが、その背景にあるのが、ヘーゲルのこの人間学なのである。エンゲルスは、たしかに道具を使う動物もいるが、「人間だけが自然にたいして自分の刻印を押すということをなしとげた」[2]ことを指摘する。それは手の働きであるが、それとともに脳が発達し始める。「人間の頭脳が手とあいたずさえかつ並行して、また部分的には手をつうじて、相関的に発達していったのでなかったとすれば、手だけではとうてい蒸気機関は完成されなかったであろう」[3]

 こうして直立歩行する人間が手を使って道具を使い、生産し、頭脳を働かせて工夫することで、文化が形成される。人間の本質はエンゲルスにとっても労働である。社会が形成されたのも労働のおかげである。「労働の発達によって相互の援助、共同で行う協働の機会はより頻繁になる」[4]からである。

 こうして人間は自然を支配するようになる。「そしてこれが人間をして人間を他の動物から分かつ最後の本質的な区別であって、この区別を生みだすものはまたもや労働なのである」[5]。人間が人間となるのは労働であるという考え方は、もはや疑うことにできないものとなっている。労働こそが、政治活動や思索などよりもはるかに価値の高い活動とされたのである。

重商主義

 このように労働を肯定的なまなざしでながめる哲学の道は、ヘーゲルからマルクスとエンゲルスの労働の理論において、一つの完成に到達することになる。ただそのためには、もう一つ別の道が合流する必要があった。それは経済学の道である。

 一八世紀の重商主義の時代までは、一つの国家の富は、その国が所有している「金と銀」[6]の総額だと考えられていた。「豊かな国とは、豊かな人と同じように、金がたくさんある国だと考えられている」[7]のである。そのようにして考えると、「国を豊かにする方法は、輸入の規制と輸出の奨励の二つになった」[8]のである。

 そうだとすると、輸出できる産物を生産する産業活動と、できるだけ輸入を少なくするための措置が必要とされることになる。国の富は、結局のところ、輸出から輸入を差し引いた額で決まることになり、貿易差額をいかに増やすかが問題となるのである。

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「富の源泉は金でも銀でもなく国民の労働である」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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