「中山元の哲学カフェ」

人間を疎外する「聖なる」労働の歪み

「働く」その5

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2010年5月13日(木)

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マルクスの労働概念の歪み

 さて、このようにして労働は人間の本質そのもの、「聖なるもの」となったのである。しかしぼくたちは労働にそれほどの価値を実感しているだろうか。たしかに現代の社会はだれもが何らかの形で働くことによって、社会に貢献することを求められる。

 ぼくたちは、自己を実現する機会は仕事においてしかみつけられず、人々から承認をうける機会も仕事においてしかみつけられず、生活の糧も仕事においてしかえられないかのようである。現代の社会はだれもが賃労働者あるいは給与生活者であるかのようである。しかし、このように労働あるいは仕事が、人間の本質であり、聖なるものであると考えることには、どこか歪みがないだろうか。そのことを以下では(一)労働における疎外、(二)労働からの疎外、(三)生産至上主義という三つの観点から考えてみたい。

搾取

 労働が現実において「聖なるもの」などとはほど遠いものであることをもっともよく認識していたのが、皮肉なことにマルクス自身だった。マルクスが労働と階級社会について検討していたのは一九世紀の半ば、資本主義の原始的な蓄積がもっとも厳しい形で実現された時期だった。それまで共同体の内部で生活していた人々は、農地の囲い込み、資本主義的な農業経営の進展で共同体の内部の生活を奪われ、都市に生活の場を求めざるをえなくなっていた。

 都市に集まってきた人々はすぐには仕事をみつけることができず、生活を維持できないために、公的扶助に頼らざるをえない場合が多かった。一七七〇年には、貧民たちが安易に救貧制度に頼らないようにするために「理想の救貧院」が構想されたが、この「恐怖の家」では一日一二時間、貧民たちに労働させることが企てられていた。これは「資本の魂にとっての夢」だった。しかし「わずかな年月の後にマニュファクチュア労働者自身にとっての巨大な〈救貧院〉として出現した。それは工場という名で呼ばれた」[1]

 「一八八三年の法律によれば、通常の工場労働日は朝五時半から始まり、夜八時半に終わるべきものとされる。そしてこの一五時間という制限範囲内であれば、少年(すなわち一三歳から一八歳までの者)を一日のいずれかの時間に使用することは適法とみなされる」[2]。すなわち朝から夜まで、または夕方から朝まで、いつでも働かせることができるのである。

 この過酷な工場労働がどれほど労働者の身体と精神を蝕んだかは、僚友のエンゲルスの著書『イギリスにおける労働者階級の状態』でまざまざと描かれている。

 ロンドンの多数の労働者街のウエストミンスターのある教区では、一八四〇年の統計によると、五二九四の「住宅」に(エンゲルスは「もしもそれがこの名に値するとすれば」と注記している)、五三六六の労働者の家族が、男女も年齢も「ごったまぜに投げ込まれ、総計二万六八三〇人に達し、しかも上記の家族数のうちの四分の三は、たった一室しかもっていなかった」[3]のである。一室で親子四人が暮らせれば、まだましなほうだった。「まったくの宿無しとくらべると幸せなのである。ロンドンでは、今夜どこに自分の身体を横たえたらよいかわからない人が、毎朝五万人も起床する」[4]ほどだった。

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「約束する」「働く」「記憶する」――。会社や家庭での何気ない行為を取りあげて、その哲学的な意味を掘り下げる哲学入門コラムです。哲学と聞くだけで、難しくてわからないと思う人は多いでしょう。でも、このコラムは哲学のそんなイメージをからりと変え、ぐっと身近なものにしてくれます。哲学への広き門に一歩、足を踏み入れてください。あなたと世界のあらたなつながりが見えてくるでしょう。

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