「藁でもよろしいですか?」

自分に「無縁死びびってる」というタグをつける。

死に方よろしいですか? 後編

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2010年5月17日(月)

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 確かに、せんじつめると家族は孤独という現象のパッチではない。まぎらわしいのだが。いや、パッチという役割も持つかもしれないけれども、基本的にそれを選ぶのは、パッチにしたい側ではなく、家族の成員個人にある。

 子供を老後のパッチにしたくとも、彼・彼女が、二度と戻ってこないかもしれないけどパタゴニアに行って結婚したいのだが、と言ったらそれは尊重されないといけない。なのでやはり、夫婦の関係をしっかりしておくか、パタゴニアに嫁・婿には行くなと小さい頃から子供に言い聞かせる必要があるのだろうけれども、子供としては「ああこの親はじめっから自分を老後のパッチにしようとしてたんだろうな」と気付いたら、それはまあ調子を合わせてはくれるかもしれないが、なんというか、萎えるのではないだろうか。

 はなからパッチ目的で子供を作るのと、無心に子供を育て上げた老後に、なんとなく寂しくなるのとは違う。子供はおそらくそのことを見分ける。親の沽券と、寂しいのはいやなの、という感情は、あまり親和性は高くないように思う。

* * *

 話は逸れるかもしれないが、死に方が人の功績を選ばないことも、厄介といえば厄介である。

 モテても一人で亡くなるということはある。思い起こすとけっこういろいろな人の名前が挙がるのだが、わたしの中では、大原麗子とアリス・イン・チェインズのボーカリストのレイン・ステイリーのことが真っ先によぎる。大原麗子は不整脈による脳内出血で、レイン・ステイリーは、三十五歳の時に、ドラッグによるオーバードーズで。後者は、見つかったときには腐乱していたということが判明している。

* * *

 二人とも、方や日本の大女優、方やグランジ全盛に登場し、今も風化しないバンドのボーカルと、ジャンルは違うのだが、どちらもそれはもうモテたはずである。

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著者プロフィール

津村 記久子(つむら・きくこ)

1978年大阪府生まれ。2000年4月より会社員。01年初頭より失業。同年末より現在まで、再び会社員。05年『マンイーター』(単行本『君は永遠にそいつらより若い』筑摩書房)で太宰治賞を受賞。08年『ミュージック・ブレス・ユー!!』(角川書店)で野間文芸新人賞を受賞。09年『ポトスライムの舟』(講談社)で芥川龍之介賞を受賞。他に『カソウスキの行方』(講談社)、『婚礼、葬礼、その他』(文藝春秋)、『アレグリアとは仕事はできない』(筑摩書房)、『八番筋カウンシル』(朝日新聞出版)。好きなテレビ番組は、「ダーウィンが来た!」、「空から日本を見てみよう」。



このコラムについて

藁でもよろしいですか?

 溺れるものは藁をも掴む、ということわざは、あんまりいい意味では使われませんが、この連載を始めるにあたっての打ち合わせで、「べつに藁でもよくない?」という論調になり、このようなタイトルを付けました。よく考えたら、わたしにとって生活するということは、岸辺に上がることではなく、流されながらおもしろそうな藁を掴み、そしてさらにナイス藁を探して溺れ続けるということなのでした。それでいつかは海に流れ着ければよいと思います。
 そうやって溺れながらいろいろ考えたことを、月に一度、大阪市の片隅の最後端の世間からお届け致します。(津村記久子)

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