(前回から読む)
確かに、せんじつめると家族は孤独という現象のパッチではない。まぎらわしいのだが。いや、パッチという役割も持つかもしれないけれども、基本的にそれを選ぶのは、パッチにしたい側ではなく、家族の成員個人にある。
子供を老後のパッチにしたくとも、彼・彼女が、二度と戻ってこないかもしれないけどパタゴニアに行って結婚したいのだが、と言ったらそれは尊重されないといけない。なのでやはり、夫婦の関係をしっかりしておくか、パタゴニアに嫁・婿には行くなと小さい頃から子供に言い聞かせる必要があるのだろうけれども、子供としては「ああこの親はじめっから自分を老後のパッチにしようとしてたんだろうな」と気付いたら、それはまあ調子を合わせてはくれるかもしれないが、なんというか、萎えるのではないだろうか。
はなからパッチ目的で子供を作るのと、無心に子供を育て上げた老後に、なんとなく寂しくなるのとは違う。子供はおそらくそのことを見分ける。親の沽券と、寂しいのはいやなの、という感情は、あまり親和性は高くないように思う。
* * *
話は逸れるかもしれないが、死に方が人の功績を選ばないことも、厄介といえば厄介である。
モテても一人で亡くなるということはある。思い起こすとけっこういろいろな人の名前が挙がるのだが、わたしの中では、大原麗子とアリス・イン・チェインズのボーカリストのレイン・ステイリーのことが真っ先によぎる。大原麗子は不整脈による脳内出血で、レイン・ステイリーは、三十五歳の時に、ドラッグによるオーバードーズで。後者は、見つかったときには腐乱していたということが判明している。
* * *
二人とも、方や日本の大女優、方やグランジ全盛に登場し、今も風化しないバンドのボーカルと、ジャンルは違うのだが、どちらもそれはもうモテたはずである。
ここから先は「日経ビジネスオンライン」の会員の方(登録は無料)、「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみ、ご利用いただけます。ご登録のうえ、「ログイン」状態にしてご利用ください。登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。





からのご案内




