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76. シャウト! ザ・魂の叫びアワー!

Twitter全盛だから、ブログのことをちょっとだけ考えてみた。(2)

  • 千野 帽子

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2010年5月19日(水)

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 日直のボウシータです。前回は人気ブログが持っているパフォーマティヴな力について書いてみました。人気ブロガーは自分が文章を書いて発表するだけでなく、読み手をも書くというパフォーマンスに巻きこむ力を持っている、という話でした。

 今回は、ブログという伝達手段の、ちょっと困った部分について書きます。

*   *   *

 「文学」にかんするある特殊なイメージが流通しています。だいたい小学校で作文を書かされる体験を経て、人はそういう文学観を身につけます。それはどんなイメージか。

 簡単に言うと、「文学とは、かけがえのない一個人の、かけがえのない体験や感情を、言葉に乗せてお送りするザ・魂の叫びアワーである」という偏ったイメージです。

 読んだ人、よそで引用してもいいけど、ちゃんと鉤括弧閉ジルのあとの「という偏ったイメージ」の部分まできちんと引用してくださいね。鉤括弧のなかだけ引用されると、私がそういう偏った文学観を持っていると思われて迷惑しますので。

蒲団・重右衛門の最後』田山花袋、新潮文庫、380円(税込)、ISBN 4101079013
津軽』太宰治、角川文庫クラシックス、420円(税込)、ISBN 4041099056

 どういう人がこういう文学観を持っているかというと、田山花袋や太宰治の私小説を読んでいる、文学好きの人たち──ではない。文学をじっさいにはほとんど読んでいない人たち──とくに文学好きでない人たち、つまり世のなかの多数派──が、文学というものを傍から見て「ザ・魂の叫びアワー」だと思いこんでいる。

 たしかに文学には「ザ・魂の叫びアワー」の側面があるけれど、それは文学の一部門・一機能にすぎない。また、じっさいに花袋や太宰を平熱な気持ちで読んでみればわかることですが、「ザ・魂の叫びアワー」じゃないことをいろいろ、花袋だって太宰だってその他の私小説だってやっているのです。

 とはいえ、自他ともに認める読書好きのなかにも、そういう文学観を持つ人がいる。そういう人は小学校から高校まで国語の授業が楽しかったという人で、──そういう人はこの連載は読んでいないはずだから平気で悪口を書きますが──要するに本を読んでいてもなにも読んでいない人たちです。それはともかくとして。

「文学ってザ・魂の叫びアワーだから、俺にもできるな。だって人はひとりひとり、「かけがえのない一個人」なんだから」

と考える人がいても当然で、だからブログも、そしてそれ以前、世紀転換期まで隆盛していたCGI利用のウェブ日記も、ほとんどが文学の一部門である「ザ・魂の叫びアワー」ということになってしまいます。

 一般人の日本語ブログには筆名によるものが多いとか、ブログ開設以前からの知人に内緒で運営されるものが多いという風説を小耳に挟んだことがあるのですが、もしそれがほんとうなら、「魂の叫び」というのが顔見知りや同僚や取引先の前ではやりにくいからかもしれません。

*   *   *

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牛島 信 弁護士