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マルクスが考えに入れなかった労働に参加することを拒まれた人々

「働く」その6

2010年5月20日(木)

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労働者階級

 このようにマルクスは労働が幾重にも疎外されていることをしっかりと見抜いていた。そして逆説的なことに、この疎外された労働を強いられている労働者階級、すなわちプロレタリアートによる革命だけが、この疎外をなくすことができると考えたのである。

 それは資本家であるブルジョワは疎外された労働に従事しているわけではなく、この疎外をなくす必要を感じていないからである。これを認識できるのは労働者だけである。「プロレタリアートの生活条件のうちに今日の生活条件のもっとも非人間的な頂点が集中しているために、人間がプロレタリアートであることによって自己を喪失している」[1]からである。

 マルクスはプロレタリアートはこの「非人間性にたいする反逆へと直接に追い込まれているために、自分自身を解放することができるし、また解放せざるをえない」[2]と指摘する。「それはプロレタリアートの地位に集約されている今日の社会のいっさいの非人間的な生活条件を揚棄しなければ、彼自身の生活条件を揚棄するわけにはゆかない」[3]からである。

生産至上主義

 この論理の背後には、生産活動だけが価値を生む源泉とみなす考え方が潜んでいる。スミスがすでに生産以外の活動に従事しない人々は価値を生まないと指摘していたが、マルクスもまた生産活動だけが人間らしいありかただと考えていた。マルクスは「生産的生活は類としての生活である。それは生活を産みだしていくような生活である」[4]と考えている。

 そこにはヘーゲルの主奴論の考え方が潜んでいるのは、「対象的世界の実践的な産出、非有機的自然の加工は、人間が意識的な類的存在であることの確証であり、つまりは類におのれ自身の本質としてかかわり、あるいは自己に類的存在としてかかわるような存在であることの確証である」[5]という議論からも明らかであろう。奴は自然に加工することで、勝ち誇る主を脇目に、真の意味での人間となったのだった。労働者は「非有機的自然の加工」に従事することで、人間の本質を実現するのである。

革命の目的

 そしてこの考え方によるかぎり、プロレタリアートによる革命以外に人間の本質を回復することはできないという論理が導かれることになる。労働者は、労働において人間の本質を実現するはずであったのに、実際に追い込まれているのは、非人間性の極である。マルクスはこの地位にある労働階級だけが革命を起こして、疎外をなくし、非人間的なありかたを廃絶できると考えたのである。

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「マルクスが考えに入れなかった労働に参加することを拒まれた人々」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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