「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明」

私がiPadを買うべきでない理由

バックナンバー

2010年6月4日(金)

1/5ページ

印刷ページ

 iPadを見た。
 買うことになるだろう。

 わかっている。どうせ買うのだ。それもたぶん一週間以内に。三日か五日の間買わずに我慢するのは、自分に対する言い訳に過ぎない。あるいは手続きみたいなものだ。よく頑張ったぞオレ、とそう自分に言い聞かせながら、でも結局買う。いつもそうなのだ。セルフおあずけストラテジー。デジタルマゾヒストのティピカルな行動パターンのひとつだ。

 見せてくれた編集者氏は、ほとんどアップルのセールスマンだった。それほど全力で私にiPadの魅力をアピールした。

「で、ここをこうするとほらフォトフレームになるわけです」
「……うう……」
「動画も見られますよ」
「……うう……あ……」
「ね。なかなかの画質でしょ?」
「…………」

 それにしても、こういうブツをいち早く手に入れた人間は、なにゆえに必ずや布教活動を展開することになるのであろうか。あまた生まれいずる市井のペテロたち。その無償の情熱と行動力。

 とにかく、事ここに至ったらもうダメだ。経験上よく分かっている。迷っているということは、じきに買うということなのだ。
 買わない物件については、最初から迷わない。迷いが生じているということは、すなわち買うためのルーチンに突入したことを意味している。

 今回は、話題のiPadについて、購入前の段階で自分が感じていた(←既に過去形)いくつかの抵抗点を記録しておくことにする。

 買えばどうせしばらくは夢中になる。
 が、買うまでのしばらくの間、買わないでいるための理由が自分の中に存在していたことは事実で、その理由が一定の説得力を保持していたのである。

 当稿では、それを書く。私がiPadを買うべきでない理由について。無駄な抵抗だが。読者の皆さんの後学のために。

「オレは第三世代を買うよ」
 と、私は発売前から、周囲にそう宣言していた。
 それが一番賢い買い方だからだ。

 いや、本当のところ、このテのガジェットについては、愚かな購入事例が数例あるばかりで、賢い買い方なんてものは、そもそも存在しないのかもしれない。が、それでもやっぱり初期バージョンに飛びつくのは、愚かな処世ではある。猫舌のくせにチーズフォンデュに目がない男、みたいなこの種の前のめりの購入者を、業界の人間は「人柱」と呼んでいる。そう、橋梁や城郭の造営に先立って、基礎固めないしは魔除けのために土壌に埋められた不運な人々の別名だ。現在の土木業界では、人柱の使用は文字通りの意味では廃止されている。が、新発売のブツに付随する比喩的な意味での人柱は、間違いなく実在する。

 実際、初期バージョンの初期不良を生身で味わいつつ、それらの経験を貴重なフィードバック情報として提供する捨て石のユーザーがいないと、新製品は市場に定着することができないものだからだ。

 時代のバスに乗り遅れるな、と、アジテーターは言う。
 が、だまされてはいけない。
 時代のバスに類するものが仮にあるのだとするなら、それは、全員が乗るまでは発車しない仕様になっている。あたりまえの話だ。

 むしろ警戒せねばならないのは、時代のバスに先立って出発する粗忽者のバスにうっかり乗ってしまうことだ。

ここから先は「日経ビジネスオンライン」の会員の方(登録は無料)、「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみ、ご利用いただけます。ご登録のうえ、「ログイン」状態にしてご利用ください。登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。


関連記事

Keyword(クリックするとそのキーワードで記事検索をします)

Feedback

  • コメントする
  • 皆様の評価を見る
内容は…
この記事は…
コメント31 件(コメントを読む)
トラックバック
著者プロフィール

小田嶋 隆(おだじま・たかし)

小田嶋 隆

1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。近著に『人はなぜ学歴にこだわるのか』(光文社知恵の森文庫)、『イン・ヒズ・オウン・サイト』(朝日新聞社)、『9条どうでしょう』(共著、毎日新聞社)、『テレビ標本箱』(中公新書ラクレ)、『サッカーの上の雲』(駒草出版)『1984年のビーンボール』(駒草出版)などがある。 ミシマ社のウェブサイトで「小田嶋隆のコラム道」も連載開始。



このコラムについて

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明

「ピース・オブ・ケイク(a piece of cake)」は、英語のイディオムで、「ケーキの一片」、転じて「たやすいこと」「取るに足らない出来事」「チョロい仕事」ぐらいを意味している(らしい)。当欄は、世間に転がっている言葉を拾い上げて、かぶりつく試みだ。ケーキを食べるみたいに無思慮に、だ。で、咀嚼嚥下消化排泄のうえ栄養になれば上出来、食中毒で倒れるのも、まあ人生の勉強、と、基本的には前のめりの姿勢で臨む所存です。よろしくお願いします。

⇒ 記事一覧

記事を探す

読みましたか〜読者注目の記事

  • いま、歩き出す未来への道 復興ニッポン