
サッカー日本代表は、決勝トーナメントに駒を進めた。
よく頑張ったと思う。
対パラグアイ戦は、延長を闘ってスコアレスドロー。PK戦で敗退した。
残念な結果だ。
退屈なゲームだったという声もある。今大会最大の凡戦であると。
たしかに、傍観者には退屈な試合であったことだろう。少なくとも、スペクタクルな展開ではなかった。
でも、私は、退屈しなかった。
当事者だからだ。
私の内部にはずっと見守ってきた4年間の蓄積がある。退屈している余裕なんかない。ボールがペナルティーエリアに近づくだけで心は千々に乱れた。あたりまえじゃないか。
「おい」
私はほとんど叫んでいた。
「リスクをおそれるなあ」
と。
それゆえ、試合が終わってみると、体中が硬直していた。
翌日は、節々が痛んだ。
でも、選手を責める気持ちにはなれない。甘いという人もあるだろうが、ファンはコーチではない。教師でも軍曹でもない。われわれは選手の祖母だ。心配して、応援して、勝てば有頂天になる。もちろん、負けるとがっかりする。でも、選手を責めたりはしない。万が一非行化したのだとしても、それは悪い友達のせいだと考える。
3連敗の予想を掲げたことについて、あらためて陳謝したい。
原稿を書く人間も、いくぶんかはリスクを負わないといけない。
選手や監督にリスクを冒すことを求めておいて、自分がノーリスクでものを書いていてはいけない。
無論、サムライでないわれわれは、腹を切ることはできない。
でも、せめて農民らしく、土下座をしよう。カム土下座、ライトナウ、オーバーミー。
今回は、リスクについて考えてみたい。
発言のリスク。ツイッターのリスク。ブログのリスク。
21世紀は、リスクの世紀だ。ブロードバンド化したリスク。ユビキタスなリスク。双方向なリスク。誰も無事なままではいられない。
あらゆる情報が磁気記録され、電波発信され、光ケーブルを通じて全世界に頒布されるようになって以来、ちょっとした不規則発言が墓穴を掘る可能性は爆発的に高まった。一家に一台戦車が備えられている世界は、大変に心強い世界でもあるが、同時に非常にリスキーな世界でもある。
われわれライターも、インターネット以前は、気楽な立場にいた。
あっちの週刊誌に書いた原稿とこっちの月刊誌に書いた記事の間に矛盾があっても気がつく読者は少なかった。
気づいたとしても、その鋭敏な読者は、発言する媒体を持っておらず、それゆえ大事に至ることもなかった。
「オダジマは先月号とまったく逆のことを書いてるぞ」
と、編集部にハガキを送ってくる読者もいなかったわけではないが、そういうハガキが誌面で紹介されることはまず無かった。よほど編集部に嫌われていない限りは。
「こんなハガキが来てましたよ」
と、あえて知らせてくれる親切(なのか?)な編集者もいたが、多くの場合、賢明な読者の声は静かに黙殺された。
平和な時代だった。
ところが、インターネットが粘着質の一般人に発言の場を提供するようになると、ライターの偽予言や批評家の変節は、見逃されにくくなった。
「あいつも終わりだな」
「うん。完全に賞味期限が切れてる」
「むしろ冷蔵庫のニオイがする」
と、匿名巨大掲示板には今日も無慈悲なコメントが並んでいる。これはもうどうしようもない。
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