1日中動き回り、満員電車に揺られて帰る夜。電車の窓にふと目を遣ると、暗闇に映った自分の顔にギョッとさせられることがある。
目尻に刻まれた無数の小じわ。重力のなすがままに、だらしなく垂れ下がる頬。ぐはっ、こんなやつれた顔をしていたとは! 無理やり口角を上げてみたり、目をぐっと見開いてみたり、ささやかな努力をすればするほど、虚しさがこみあげてくる。
電車の窓に映し出される顔は、限りなく「素」に近い。鏡を覗き込む時と違って、自らの目線さえも意識していない。そんな「素」の顔をいきなり突きつけられると、自分が思っている「自分の顔」との落差にいまさらながら驚かされるのだ。
顔は嘘をつけない
日頃から自分の「素」の顔に危機感を覚えているだけに、「天才アラーキー」こと写真家・荒木経惟の「顔は究極のヌード」という言葉に心底ドキッとした。
〈顔は生まれてからずっと裸のまんま。おっぱいの大きい小さいなんていくらでも嘘つけるし、髪だってハゲたらカツラにすりゃいい(笑)。でも顔だけは常にさらされているだろう?〉
女性のヌードをごまんと撮ってきたアラーキーに言わせれば、おっぱいは〈デカいか小さいか、乳首の色がピンクかあずき色か、垂れているかピンと持ち上がっているか〉しかないらしい。顔のほうがよっぽど複雑で、顔には時代や時期、その人となりといった「本質」が現れる。「だから用心しろよー」と先制パンチが飛ぶ。
そんな脅し文句から始まるこの本は、70歳になったアラーキーが語る「いい顔」論だ。
表紙には、子どもと母親のヌード写真。子どもの泣きっ面といい、母親のこぼれんばかりの笑顔といい、確かにタイトルどおり“いい顔してる”。
ページをめくって、なかに挿み込まれている写真をパラパラ見てみる。複雑な表情をした顔、見ているだけでホッと安心できる顔、生きる力強さを感じさせる顔……。いろんな顔があるが、どの顔も単純に美醜では説明できない魅力を持っている。
書名が「美しい顔の人」だったら、この本にそれほど興味を引かれなかっただろう。美しい顔になるには、自ずと持って生まれた限界がある(整形という手もあることにはあるが)。だが、「いい顔」となると話は別だ。
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