「生きるための古典 〜No classics, No life!」

「やむをえない人生」に、吹けよ、風!

『今昔物語集』より「讃岐の国の多度の郡の五位、法を聞きて即ち出家せる語 第十四」

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2010年8月24日(火)

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「讃岐の国の多度の郡の五位、法を聞きて即ち出家せる語 第十四」(『今昔物語集』巻第十九 本朝付仏法)

『今昔物語集』1059話の中から見つけた深く美しい力

『今昔物語集』は、平安時代の末期(12世紀の初め)に成立した仏教説話集だ。作者未詳、書き出しはすべて「今は昔……」で統一された1059話。

ぼくは何か機会があるたびに、つまみ食いのようにして読んだだけだ。おもしろい話もあったし、退屈な話もあった。そして、この「讃岐の国の多度の郡の五位、法を聞きて即ち出家せる語(さぬきのくにのたどのこおりのごい、ほうをききてすなわちしゅっけせること)」のように、いつまでも心に残る、かけがえのない、深く美しい力を持つ話もあった。

主人公は讃岐の国の極悪人、源大夫

舞台は讃岐の多度郡、今の香川県仲多度郡の多度津町や善通寺市あたりだ。源大夫(げんだいぶ)という名の極悪人がいて、毎日のように人を傷つけ殺すので、地元の人々に恐れられていたという。

ある日、源大夫は4、5人の手下を連れて狩りをした(当時の感覚では狩猟も悪事だった)。その帰り道、お堂の前にさしかかったとき、大勢の人が集まっていることに気づいた。
いったい何をしているのかと手下に尋ねると、「講」と答える。僧侶が講師となって、人々に仏法を説いているのである。

仏教嫌いの源大夫だが、好奇心にかられて馬から降り、ひとり、お堂の中へ入っていった。

彼は講師をにらみつけ、腰の刀に手をやりながら言う。

おれが心から「もっともだ」と納得することを話して聞かせろ。できなかったら、不都合なことになるぞ。

「その名を呼べば、重い罪人も救う」

心の中で仏に助けを求めながら、講師は話し始めた。

ここから西の方、多くの世界を過ぎたところに、阿弥陀仏(あみだぶつ)という仏さまがおられます。その仏さまはお心が広いので、長年にわたって罪を造り続けた人であっても、改心して一度でも「阿弥陀仏」と唱えれば、必ず迎え入れてくださいます。そうなると豊かですばらしい国に、しかも願いごとはすべてかなう身に生れ変って、ついにはその人自身が仏に成るのです。

「阿弥陀仏は、その名を呼びさえすれば誰でも助けてくださる」という。ありがたい、尊い教えだ。しかし、この人殺しが納得するだろうか。「馬鹿なことを言うな。そんな甘っちょろい話があってたまるか」と怒り出し、刀を抜いて講師を殺してしまうに違いない……。

ところが、源大夫の反応は意外だった。

「その仏は人を哀れまれるというのか。それなら」と僧に尋ねる、「このおれも憎まれたりしないのだな」。

講師は肯定した。すると、源大夫はさらに尋ねる。

「ならば、おれがその仏の名をお呼びしたら、仏さまはお答えになるのだろうか」。

「やむをえない」と思いながら生きる

極悪人の源大夫が、阿弥陀仏の話に心動かされている。
彼にしても、自分の血まみれの人生を肯定していたわけではないのだ。
やめられるものならやめたい、新しい生活を始めたい。
しかし、やめられない……。

人生の歯車は、気が遠くなりそうなほど複雑に組み合わされている。何がどう連動するかなんて、誰にも決して見通せない。
最初に自分が何を思い、何を意図して始めたにせよ、その後は想像すらできなかった状況が次々に現れて、いつもそのまっただ中に、途方に暮れた自分が立ちすくんでいる。

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著者プロフィール

岡 敦(おか・あつし)

岡 敦1959年、東京生まれ。
本サイトの某連載にゲスト出演し、その人生への向かい方に驚嘆した編集者によって、この連載の場に引きずり出された。近著に本連載をまとめた『強く生きるために読む古典』(集英社新書)がある。



このコラムについて

生きるための古典 〜No classics, No life!

 ぼくは本を、自分が生きるのに役立つように読む。無能で不器用で余裕がないから、それだけしかできない。今、ぼくは本の紹介文を書こうとしているが、ぼくの読み方には、強いバイアスがかかっている。客観性に欠けている。読みが浅い。あるいは反対に、どうでもいい細部に過剰な読み込みをしている。でも……そんな読み方をしないと、「このぼく」の人生には役立たないのだ。

 もしかしたら読者の中にも、ぼく同様の「出来損ない」がいるかもしれない。そして出来損ないに課せられた、日々の愚かしい戦いを、武器もなく戦っているかもしれない。もしそうなら、その人には、この文章は少しは役に立つだろうか。この文章をきっかけに、ぼくが紹介した本を手に取って、ぼくなんかよりももっとうまく活用してくれるとしたら……。

 そんな想像をする。勝手な妄想だ、いい気なものだ、と自分でも思う。でも、そんな妄想を信じて、ぼくは、これから書いていくつもりだ。

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