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他者からの愛と自己愛、この二つの愛がどうしても必要なのである

わたしは愛する【9】

2010年8月26日(木)

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他者への愛と異性への愛への困難

 フロイトがこれまで繰り返して強調してきたことは、人間が他者を愛するということ、他者のうちでも異性を愛するということは、当然のことでも正常なことでもなく、さまざまな条件のもとでしか成立しないということである。誰もが自己を愛するものであり、他者は二の次になりがちである。他者を愛するとしても、男性が女性を愛するためには、いくつかの困難があり、同性への愛へと進む傾向があるし、女性が男性を愛するためにも、いくつかの困難があるとフロイトは考えるのである。

 それでも多くの場合、思春期に男性と女性は愛しあう。それが可能となる道筋をこれまでたどってきたのだが、まだ言われていない重要なことがいくつか残っている。そもそも他者を愛するようになるためには、重要な条件が存在しているのである。それは主体が自己を一つの主体として、しかも他者とともに存在する主体として認識できるようになることである。主体は自己のアイデンティティを、しかも他者のうちにある一人の人間としてのアイデンティティを確立する必要があるのだ。

 そのために必須なのは、主体が自己を一人の主体として外部から眺めるまなざしを獲得することである。生まれたばかりの赤子は、自己を自己として認識することができない。赤子に認識できるのは、自己の身体的な器官の欲求と、それを満たすために外部から訪れる母親の乳房や、自分の身体を世話してくれる「手」である。赤子にとってはこれらのものは自己の身体の延長であり、それを分離して、他者のものとして区別することができない。

 この状態から、自己と他者を明確に異なるものとして区別できるようになるためには、自己を自己として認識する「まなざし」が必要となると考えられる。このまなざしは外部から訪れるものではなく、赤子のうちで獲得されなければならない。赤子がこのまなざしを獲得する道は、ほぼ三つあると考えることができる。温かいまなざし、厳しいまなざし、中立的なまなざしの三つである。ここでは仮にそれらを「母のまなざし」「父のまなざし」「鏡のまなざし」と名付けておこう(ただし現実の母や父のまなざしではない。赤子の中にとりこまれたまなざしである)。そのどのまなざしも欠けていてはならないのである。

死の願望

 今回は第一の温かい「母のまなざし」が、赤子のうちでどのようにして成立しうるかについて考えてみよう。すでにメラニー・クラインの指摘に依拠して考察してきたように、赤子は全能の存在として、善い乳房と善い母親を愛し、悪い乳房と悪い母親を憎む。この憎悪は非常に激しいものであり、赤子が乳房にかみつくとき、あるいは与えられても、それを悪い乳房とみなして、顔を背けるとき、赤子は母親を攻撃し、死にいたらしめている。そしてその行為のあとで、激しい罪悪感に襲われるとクラインは考える(フロイトでは罪悪感の源泉である超自我や良心の誕生は男根期にいたってからとされているが、クラインはごく初期の赤子の段階からこのような罪悪感が誕生すると考える)。

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「他者からの愛と自己愛、この二つの愛がどうしても必要なのである」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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