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テレビの中から、テレビを精神分析する『最後の授業』

~なぜ現代は「ウラ」をなくしたのか?

  • 深川 岳志

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2010年9月27日(月)

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 心と書いてウラと読む。

 「うらやましい」という言葉は、実は「心が病んでいる」という意味合いを持つ。同じように「うら寂しい」は「心が寂しい」、「うら恥ずかしい」は「心が恥ずかしい」となる。

 なるほど、と思わず手を叩きたくなるこの手の「ウラ」話が満載の本書は、実にややこしい成立の仕方をしている。

北山修がテレビの世界から身を引いたワケ

最後の授業――心をみる人たちへ』北山 修著、みすず書房、1890円

 北山修は今から40年以上前に「ザ・フォーク・クルセダーズ」(以下、フォークル)のメンバーとして、「帰って来たヨッパライ」で一世を風靡したアーティストだ。

 北山修はフォークル解散後もテレビの司会等で活躍したが、ある時ふっとテレビとの関係を絶ってしまう。

 袂を分かった理由は職業倫理に基づくものだ。北山修はもともと京都府立医科大学で医学を学んでいたが、ロンドン留学をきっかけに専門領域を臨床心理学に定める。

 「治療室は相手の心を見る場所」であり、精神科医は「人の心がもつ傾向を映し出す鏡」である。「精神科医は楽屋を見せてはいけない」という強い信念を持って、北山はテレビの世界から身を引いた。

 しかし、北山修自身の内的な問題意識もあったことが、冒頭で語られる。

〈私は、今から35年ほど前に短期間マスコミに深く関わって、一時期テレビやラジオによく出ました。その時にだんだん私が感じるようになったのは、いったいどこで誰が私を見ているのか分からない、話しているのか分からないということでした。それがすごく不安になったのです。ときどき、知らない人に親しげに「こんにちは」なんて声をかけられて、なんだか気持ちが悪くなってきたというようなことがありました。そういうことが起こって、テレビの世界から降りました〉

 その後、著者は北山医院を開設し、臨床の場で多くの患者と接し、九州大学で教員となる。さまざまな研究を行い、後進を育て、2010年3月に九州大学を定年退職して名誉教授となる。

 退職前に行われた最後の授業にテレビが入り、NHK教育テレビで7月26日から29日にかけて4回にわたり、『北山修 最後の授業 テレビのための精神分析入門』が放送された。

 本書は、テレビから身を引いた北山が授業にテレビカメラを入れ、学生たちとテレビの向こう側の人の両方に向けて「テレビのため」と銘打った精神分析学を語り、その内容を活字化するというたいへんな手間暇をかけて作られた。

 冒頭で「じつにややこしい成立の仕方をしている」と書いたゆえんだが、なぜ、そんなに面倒なことをする必要があったのか。

 〈テレビの精神分析〉〈テレビを使って精神分析的に考えてみよう〉という著者の言葉を理解するためには、少なくともテレビに象徴されるメディア社会と精神分析について知る必要がある。

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