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わたしとあなたとの「愛の弁証法」の成就

わたしは愛する【14】

2010年10月7日(木)

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「恋愛は人生の秘鑰なり」

 「恋愛は人生の秘鑰(ひやく)なり」[1]と喝破したのは、明治初期の思想家であり、詩人であった北村透谷である。愛するということは、人生を新たなものとするための扉を開く秘密の鍵、秘鑰であり、新たな自分となる扉を開く秘鑰なのである。

 「恋愛ありて後人世あり、恋愛を抽き去りたらむには人生何の色味かあらむ」[2]というのは実感だろう。初めて人を恋するようになったとき、世界がどれほどその表情を変えるか、誰にも覚えがあることだろう。「恋愛は一たび我を犠牲にすると同時に我れなる〈己れ〉を写し出す明鏡なり。男女相愛して後始めて社界の真相を知る」[3]ようになるのである。いままでの生活がどれほどあじけのないものだったかを実感しながら、新しい自分の誕生をことほぐ。

愛の弁証法

 そして愛はたんに自分の欲望を実現する方法ではなく、相手とともに、相手のうちで自分が真の意味で生きる方法でもある。サルトルにならって「愛する側の欲望は、まさに、相手の個性をそのままたもちながら、相手を自己に合体させることである。いいかえれば、〈他者が他者であることをやめることなしに、わたしである〉ようになることである」[4]とも表現できるだろう。

 愛は単独では成立せず、愛するわたしと愛されるあなたの愛で複雑な愛の弁証法が成立する必要がある。あなたを愛するわたしは主体であるが、同時にあなたから愛される客体とならなければならない。しかも愛する主体である一瞬だけ主体であり、次の瞬間には愛される客体に変わるのではなく、愛する主体が同時に愛される客体であり、あなたも愛される客体であると同時に、愛する主体でなければならない。

 これは一方的な能動と受動の関係ではなく、主体が同時に客体であり、客体が同時に主体である弁証法的なプロセスなのだ。それではこの愛の弁証法はどのようにして成立するのだろうか。ヘーゲルの主奴論にならったサルトルとニーチェの議論を調べてみよう。

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「わたしとあなたとの「愛の弁証法」の成就」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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