「L」字型に曲がった袋小路
幼いころ、ぼくは都内の小さな路地で暮らしていた。
それは両側に小さな民家が並ぶ「L」字型に曲がった袋小路で、車はもちろん部外者も立ち入ることはない、隔絶された安全な遊び場、ぼくたち子どもの王国だった。
路地には、赤ん坊から小学生まで大勢の子どもがいた。
Mちゃん、Tちゃん、ああ、Hちゃんもいたっけ……。
引っ越してしまった子もいれば新たに生まれてきた子もいて、いったい何人の子どもが暮らしていたのか、今となってはよく思い出せない。
路地の子どもたちは、いつもいっしょに遊んでいた。
約束なんかいらない。
靴を履いて路地に立てば、続いて誰かが、すぐに現れる。
鬼ごっこや隠れんぼはもちろん、そのほか、名称もないその場かぎりの遊びに夢中だった。
真夏の水遊びや花火、真冬の押しくらまんじゅう、けんかや仲直りやボヤ騒ぎ。
幼児期の、甘く香しい季節の、形の定まらない思い出は、ほとんどすべて、この袋小路の中に詰まっている。
雪の日の思い出
路地の子どもたちの中で、ぼくだけ他の子と違っていたのは、病弱だったことだ。
ポリオが大流行したときに発症したのも、喘息になったのも、路地では、ぼくだけだった。
ある雪の日、驚喜した子どもたちが路地を駆け回って遊んでいるとき、ぼくはひとり家の六畳間にいて、そのはしゃぎ声を聞きながら、ガラス窓越しに灰色の空を見上げていた。
外へ出て遊びたかったけれど、その日は喘息の症状が思わしくなく、母に厳しく止められていたのだ。
空は薄暗く、いつまでもいつまでも、単調に雪を降らせ続けている。
そのとき何があったわけではないけれど、つまらない気分と、息苦しさと、やまない雪がひとつに混じり合って、この情景は今も記憶に残る。
これは何歳のことだったのだろう。
話せなかった「大発見」
年齢を覚えている記憶もある。
これは五歳だ。
晴れた日、おそらく秋の日差し。
ぼくは路地の風景の中にいる。夏は金魚を売り、冬は焼き芋を売るOさん所有のリヤカーも置いてある。そのそばに当時八歳の兄がいて、もちろん路地の子どもたちもいる。
何をして遊んでいたかは覚えていないが、ふと、こんな考えが頭に浮かんだ。
「ぼくは昨日のことを覚えている。
一年前のことも覚えている。
二年前のことも覚えている。
三年前のことも覚えている。
四年前のことも覚えている。
五年前のことも覚えている。
じゃあ、六年前のことは……?」
そこまで考えると、突然、何と言っていいのかわからない不思議な気分に襲われた。
「どこまでも時間が続いている」とか「自分がいない世界がある」とか、そういうことに気づいたに違いないが、そのときは、そうは理解していない。
ただ、何かしらとんでもないことを発見して、びっくりしたのだ。
しかし、それがどういうことなのか、自分でもわからない。
突然、大きな音で目を覚ましたものの、何の音なのか見当がつかずベッドの上で不安を感じている人みたいに、ぼくは落ち着かなくなった。
そばにいた兄に話そうとした。
しかし話が長過ぎたのだろう。ぼくが「四年前のことも覚えている、五年前のことも……」と言いかけたとき、兄は「馬鹿だな、おまえが四年前のことを覚えているわけないだろ」と話をさえぎった、「一歳だったんだぞ。何か覚えているんだったら、言ってみろよ」。
ぼくは幼過ぎて、「仮に」とか「たとえば」といった言葉を知らなかった。「とにかく最後まで聞いてくれ」なんてセリフはもちろん頭に浮かばない。
兄に言い返すこともできず、それどころか、この「発見」についてどう考えたらいいのか自分でもわからなくなって、ぼくは黙り込んでしまった。
発見の驚きと黙ってしまった悔しさ、ともに強烈だったせいか、この出来事はそれから何度も思い出して、そのたびに不思議に混乱した気分になった。
たぶんそうやって繰り返し「復習」していたおかげで、今でも覚えているのだろう。
バスの原型まで考案した、天才パスカル
ブレーズ・パスカル(1623年生−1662年没、数学者、物理学者、哲学者)は、そんな「子どもの大発見」ではなく、本物の大発見・大発明を連発した17世紀フランスの天才だ。

たとえば数学においては「パスカルの定理」、物理学においては「パスカルの原理」を発見した(残念だけれど、ぼくはどちらもきちんと説明できそうにない)。ぼくらが台風のニュースで耳にする「ヘクトパスカル」も、彼の名に由来する単位名だ。
父親の仕事を手助けしようと、世界ではじめて計算機を開発したのも19歳のパスカルなら、定時に決まったコースを走り誰でも安い値段で乗ることができる「乗合馬車」、つまり今のバスの原型を考案して実際に事業化したのだってパスカルなのである(ちなみに、その利益は慈善病院へ寄付されていた。パリ市内で始めたこの事業は好調で、他の市や外国に拡張する計画もあったという)。
病弱ゆえに39歳で亡くなったが、そうでなければパスカルは、いったいどれほど多彩な仕事をしていたのだろうかと思う。
読みにくかった、膨大な断片集
早すぎた死ゆえに、パスカルの最後の仕事である『パンセ』という本の執筆は未完に終わっている。
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1959年、東京生まれ。

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