市場万能論という考え方がある。ざっくりいうと、「市場にまかせておけば、たいていうまくいく」という考え方だ。
たとえば、国が規制などしなくても、危険な商品を作ればだれも買わなくなり、結果的にその会社はつぶれてしまう。ある会社のサービスに不備があっても、消費者が声をあげ、改善が図られるなら、むしろその会社の価値は高まる。優良企業がのび、そうでない企業は消える。紆余曲折はあるにせよ、最終的には消費者は恩恵にあずかり、結果オーライとなる。
そのために大切なのは、規制を極力なくし、市場における競争を活性化させること。フェアな競争のもと、絶え間ない自己改善と適応に成功したものが勝利者となる。企業というものは、本来、利益追求をめざすものだが、市場というフィールドにでることで、利益追求と社会貢献が魔法のように共存する。
もちろん、過当競争やサービス残業、労働条件の悪化など、市場にゆだねるだけでは解決できない問題もある。しかし、それはルールをどう設定するかという問題であって、市場が本来持っている可能性の是非とは、原理的に別のものであるといえる。
市場の論理は万能か?
かなり端折った説明だが、基本的に資本主義・市場経済というものはそういうものであり、このシステムは不完全ながらも、社会主義・計画経済よりはマシだろうという認識で、日本などの先進諸国は動いている。
つまり、「市場の論理」というものを、程度はあれ、おおむねヨシとしているわけだ。その結果、「市場の論理」は、人間の活動の色々なところに浸透し、なるべくこの論理に沿う活動が求められる。企業や会社という組織はもちろん、個々人の思考や行動にも影響する。ビジネスマンであれば、生産者として。そしてある時は、消費者として。
が、しかし。みなさん。そういう、「市場の論理」に、あまりにも脳を冒されてはいませんか。ちょっと、ゆっくり考えてみたほうがいいんじゃないですか?
本書『街場のメディア論』はそんな問いかけをしてくる。
〈現代人は「社会の諸関係はすべて商取引をモデルに構築されている」と考えています。(中略)けれども、社会制度の中には商取引の比喩では論じることのできないものもあるということは忘れない方がいい。さしあたり「市場経済が始まるより前に存在したもの」は商取引のスキームにはなじまない〉
著者の射程は長く、根源的だ。たとえば、著作権を論じるにあたって、市場経済以前にあった贈与形態の一種である「沈黙交易」を論拠にする。
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