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「ひどいと思う」ことがある限り正義は生まれる

正義について考える【1】

2010年12月2日(木)

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「小銭」で考える正義

 これからしばらく、「正義とは何か」という総合タイトルのもとで、さまざまなテーマについて考えてゆきたいと思う。今回は「ひどいと思う」というテーマで、さまざまな正義の欠如について全体的に考えてみよう。正義という言葉は、重い言葉で、正面から扱うと大上段に構えたくなるものだ。フッサールはどこかで、「小銭で考える」ことを勧めていた。高額の貨幣ではなく、身近な通貨で、手元にある言葉から考えてゆくことで、意外と考えることの道が開けてくるものだと思う。

 正義という語はもとは儒教の用語で、『荀子』の「正名」編に「正利にして為す、之を事と謂い、正義にして為す、之を行と謂ふ」[1]とあり、「人として踏み行うべき正しい道理」の意味をもっていた。この正義という語が、ジャスティスの訳語として採用されたのだった。

 ただしこの儒教的な意味では、倫理的な意味あいが強くて、ジャスティスのもっていた公正さ(フェアネス)という意味がほとんど顧みられていない。正義という概念を考えるときには、人々のうちでどのようにしてフェアなありかたが生まれ、あるものがフェアであると考えられ、あるものがフェアでないと考えられるかを追求することが大切だと思う。フェアネスという概念は、重要な概念なのだ。

 そして正義が語られるときには、正しいありかたが問題にされると同時に、その正しさが踏みにじられているという憤慨の念が伴うものである。人が正義を声高に要求するとき、その人にとって我慢のできないような公正でない事態が発生しているのであり、その事態を公正さの原理にしたがって是正することが求められているのだ。

非道

 だから正義について考えるにあたっては、この憤慨の気持ちにまず焦点をあてるのが、わかりやすいと思う。日本語には「非道」という語がある。辞書によると「人としてのありかたや生き方にはずれていること、またはそのさま」[2]とあるが、他者の行動あるいは自己の境遇が「道理に外れている」「人の道にはずれている」「残酷である」ことを指摘するものであり、この概念の形容詞が「ひどい」である。なにかをひどいと思うとき、ぼくたちは何か正しい道に外れている、公正でないと感じているのであり、その非道の状態の是正を求めているのである。

 それではぼくたちはどのようなときに「ひどい」と感じるのだろうか。さまざまな事例が考えられるだろうし、ぼくたちは小さな頃から、さまざまなことを「ひどい」と考えながら生きてきたものだ。親兄弟や友人から理不尽な「ひどい」扱いをされたと感じたことがあるかもしれないし、学校や会社で公正でない「ひどい」扱いをうけたと感じたこともあるだろう。社会のありかたや、人間による動物の扱いかたに「ひどさ」を感じた人もいるだろう。

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「「ひどいと思う」ことがある限り正義は生まれる」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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