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『女ぎらい』な日本の私
~だから女は分断される

  • 澁川 祐子

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2010年12月13日(月)

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女ぎらい ニッポンのミソジニー』上野千鶴子著、紀伊國屋書店、1575円

 私は、中高時代を女子校で過ごした。女子校というと、いまだに「女の園」の甘酸っぱいイメージを抱いている人がいる。

 だが、たいていはそんなにおしとやかな世界じゃない。特に私の学校は、「女性の自立」というフレーズを耳にタコができるほど聞かされた。かくして少女たちは「女」を意識せずにのびのび育ち、18歳にして野に放たれる。

 男女共学の大学に入って驚いたのは、「男/女」の属性によって、期待される役割が違うということだった。

 たとえばサークルで文化祭の準備をする時、男子はペンキ塗りなどの力作業、女子は会計などの事務作業を割りふられる。しかも先輩女子が率先して後輩女子を呼び集め、その任務を嬉々として買って出る。ああ、ペンキ塗りのほうが絶対楽しいはずなのに……。私は苦い顔をしながら、しぶしぶその声に従っていた。

 当たり前だが、女子校にいれば力作業も何もかもを女子だけでこなす。個人の向き不向きで役割分担をすることはあっても、そこに「男/女」という区別はなかった。それが、一変して「女らしい」ふるまいを期待される。18歳の私は大げさでもなんでもなく、異文化に足を踏み入れたような戸惑いを感じた。

 この衝撃のもとを辿ろうと、女性学をちょっとかじった。だが、かじっただけでたいして咀嚼もせず飲み込んでしまった。なぜなら、「女らしさ」「男らしさ」のどこまでが自然で、どこからが文化的につくられたものなのかを考え始めたら、身動きとれなくなってしまったからだ。

 恋人と過ごせば、「彼のこの言動は、無意識に『女らしさ』を私に求めているんじゃないか?」と勘ぐる。男友達と話せば、「今の言葉には、男尊女卑の考えが潜んでないか?」という問いが湧いてくる。もう、ジェンダーのがんじがらめである。

 このまま突き進んだら、日常生活との折り合いがつかなくなる。そう思った私はこの問題を飲み込み、「男だから~」「女だから~」というフレーズをやり過ごす術を身につけた。胃の中に、かすかな違和感を抱いたまま。

なぜ女好きが女性を嫌悪するか

 思い出語りが少々過ぎてしまったが、この『女ぎらい』を読み、あの異物が胃の中で暴れ出したのを感じた。

 上野千鶴子は、いま日本でもっとも有名なフェミニストである。近著の『おひとりさまの老後』しかり、その発言は学問の世界だけにとどまらず広く一般に波紋を投げかけてきた。

 そんな著者が、非モテから児童虐待、皇室、親子関係、東電OL事件、古今の文学作品をすべて「ミソジニー(=女性嫌悪、女性蔑視)」の一語で串刺しにし、社会に潜むミソジニーの根深さをあぶり出した。

 ミソジニーを含んだ現象や言説を一つひとつ見つけだしてきては、攻撃を加えていく。言説を流布させる著名人に対し、名指しで罵倒することも厭わない。好色な作家といわれる吉行淳之介や永井荷風を皮切りに、非モテを論じる赤木智弘に三浦展、ゲイのオピニオンリーダーである伏見憲明にいたるまで。

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