
伊達直人という名前から即座に然るべき人物像を思い浮かべることのできる人間は、40歳を過ぎている。いや、40歳では不足かもしれない。45歳以上ではあるべきだろう。アニメ「タイガーマスク」がテレビで放映されていたのは、Wikipediaの記述によれば、1970年から71年の二年間だ。再放送(←何度かあった気がする)を考慮に入れても、やはり、1970年以前に生まれている人間でないと伊達直人という人名に対して正確な像を結ぶことは困難なはずだ。
ということはつまり、児童相談所の玄関先に、伊達直人の名義でランドセルが届けられたというニュースに対して、正しい評価を下すことのできる人間の年齢層にもまた、ある程度限られているはずなのだ。
私は、ドンピシャリの世代だと思う。中学生だった時代に、あのアニメを見ている。
「うっそくせえ(笑)」
と若干斜め方向から眺めていたきらいはあるが、それでも毎週欠かさずに視聴していた。歌も覚えている。アタマから全部歌うことができる。オープニングテーマもエンディングの感傷的な歌も。中学生の記憶力は鉄壁だ。わがことながら感心する。
では、モロなタイガーマスク世代であるオダジマは、この度のタイガーマスク現象をどのように評価するのだろうか。
正面から問われると困る。うまく答えることができない。
何も感じないのではない。
むしろ思うところが多すぎて整理できないのだ。様々な感慨が一斉に押し寄せてきて、一言では言い表せないのである。
なので、今回は、伊達直人の名前に呼応する形で私の脳裏に去来した複雑な所感を、ひとつずつ順不同で並べてみることにする。
結論を提示するつもりはない。
こういうお話に結論は無い。
タイガーマスクは、仮面の存在だ。千の顔を持つ男。あれはミル・マスカラスだったか。
経緯を振り返っておく。
昨年の12月25日、前橋市の児童相談所に「伊達直人」という名前で、10個のランドセルがプレゼントされた。で、以後、この第一報に触発される形で、各地の児童養護施設や児童相談所に伊達直人名義(あるいは、「タイガーマスク」や「桃太郎」など)でプレゼントが届く現象が続発し、結局、年末年始を挟んだこの半月ほどの間に、全国47都道府県のすべてで、「善意のタイガーマスク寄付事例」が確認された。そういうお話です。
奇妙なできごとだ。
若い読者のために、「タイガーマスク」ならびに「伊達直人」についても、一応の解説をしておく。
「タイガーマスク」は、昭和のマンガによくある「貧困ヒーローもの」のひとつの典型例だ。
貧しい境遇に生まれたヒーローが世間の無理解や差別をものともせずに、努力と根性で成功を手にするお話は、いつの時代も少年物語の王道ではあるのだが、昭和の主人公は、平成のヒーローと比べてより貧しく、下克上で、ナニクソで、涙もろく、必死で、つまるところベタだった。その意味で、伊達直人は、現代の日本人よりは木下藤吉郎あたりに近いのかもしれない。ほんの30年前の日本人なのに。
孤児院で育った伊達直人は、ある日素質を見込まれて、謎のプロレスラー養成機関「虎の穴」にスカウトされる。そして、過酷なトレーニングの末、覆面レスラー「タイガーマスク」としてデビューを果たす。しかしながら、そのタイガーは、リングのスターとなった後、出身の孤児院である「ちびっこハウス」の経済的危機を救うために、「虎の穴」への上納を怠る。と、組織から裏切り者の烙印を押された彼には、次々と処刑のための殺人レスラーが送り込まれることとなる。ストーリーは、「ちびっこハウス」をめぐるウェットなエピソードと、タイガーマスクの週毎の死闘を交互に追いつつ、要所要所に「キザ兄ちゃん」こと伊達直人とちびっこハウスの管理人「ルリ子先生」の間に芽生えるほのかな恋心を描いて進行する。うむ。われながらよく覚えている。素晴らしい。
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