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我、闘う。ゆえに『我、拗ね者として生涯を閉ず』
~「会社員」よりも「職業人」を選んだ男の人生

  • 古川 琢也

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2011年1月24日(月)

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我、拗ね者として生涯を閉ず』本田 靖春著、講談社文庫、上巻:730円・下巻:790円

 「吉展ちゃん誘拐殺人事件」を被害者、加害者双方の視点から掘り下げ、深い陰影をもって浮かび上がらせた『誘拐』をはじめ、日本ノンフィクション史に残る作品をいくつも書き上げた本田靖春は、意外にも「ノンフィクション作家」という肩書きで呼ばれることを好まなかった。

 2004年に最終回を残して絶筆となった本田の自伝『我、拗ね者として生涯を閉ず』は、次のような書き出しで始まっている。

〈私の肩書きはノンフィクション作家ということになっている。いくつかのノンフィクション作品を手掛けているうちにそうなってしまったのだが、実を言うと本人はこの呼称をあまり気に入っていない。(中略)ご存知かと思うが、かつて私は新聞社の社会部記者であった。本人としては新聞社を辞めて長い年月が経たいまも、変りなく社会部記者をやっているつもりである。しかし、組織を離れた私がその呼称で通そうとしても、世間的には通用しない―――〉

「黄色い血」追放キャンペーン

 本田が「読売新聞の」社会部記者として、足掛け5年にわたり取り組んだのが、本書でも触れられている「『黄色い血』追放キャンペーン」である。これに着手した1962年当時、本田はまだ入社7年目だった。

 60年代初頭の日本では、医療用の輸血は「日本ブラッドバンク」(のちの「ミドリ十字」。80年代には非加熱血液凝固因子製剤の使用により薬害エイズ事件を引き起こした)などの民間業者、いわゆる血液銀行に90%以上依存していた。これら業者に1本(200cc)数百円で血を売りに来るのは、主に山谷などドヤ街で暮らす貧しい日雇い労働者であり、また業者の側も採血規則を守らなかったため、巷には大量の売血常習者が生み出された。

 「黄色い血」とは、そうした彼らの、極端に赤血球が薄い血液のことを指しており、当時の山谷では、過剰採血により倒れる売血者が続出していたという。

 一方で売血は、輸血を受ける側にも深刻な問題をもたらした。血液の供給源が狭い範囲に固定化された結果、被輸血者の約5人に1人の確率で、「血清肝炎」患者が出たのである。

 にもかかわらず当時の厚生省は、「宗教的基盤のない日本で献血は根付かない」との理由で献血への転換に及び腰だった。また医学界でも、当時開業医の多くが売血業者からリベートを受け取っていた事情から献血議論がいっこうに盛り上がらず、結果として国際的な非難を浴びながらも、日本における売血は野放しになっていたとされる。

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