「人生の諸問題」

ゲームとして「強く生きる」方法はある?

シーズン3・『強く生きるために読む古典』編 その3

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2011年3月7日(月)

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強く生きるために読む古典』(集英社新書)(※集英社さんのサイトはこちら。各ネット書店へのリンクがあります)

 この連載「人生の諸問題」の主役のひとり、岡康道さんの弟さん、岡敦さんの連載「生きるための古典」がこの度、『強く生きるために読む古典』(集英社新書)のタイトルで刊行されました。

 刊行を記念して、岡兄弟、そして『小説の設計図(メカニクス)』(青土社)、『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか―擬態するニッポンの小説』(幻冬舎新書)などの著作、そして「王様のブランチ」(TBS)などでもご活躍の、「早稲田文学」ディレクターの市川真人さんをお迎えした、変化球編をお送りしています。

 今回はいよいよ最終回。幼稚園から大学まで同じ兄弟が、しかし、くっきり分かれた生き方、コミュニケーションの取り方を、市川さんを交えて語り合います。

前回から読む)

市川真人(以下、市川) 前回の最後に、1970年代から80年代への移行の話が出ましたね。

市川真人(いちかわ・まこと)
1971年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部文芸専修卒業後、百貨店勤務を経て近畿大学大学院文芸学研究科日本文学専攻創作・批評コース修了。雑誌「早稲田文学」プランナー、ディレクター、早稲田大学文化構想学部ほか兼任講師、TBS系情報番組「王様のブランチ」ブックコメンテーターなどを勤める。本人による自己紹介はこちら。(写真:大槻 純一、以下同)

岡敦(以下、敦) 80年ごろにはYMOや田中康夫も登場するし、理論的にとか、政治的にとかというより、文化的に時代の空気は一変しましたよね。暗幕が外されたみたいに、世の中のムードがいっぺんに明るくなった。もっとも、素晴らしい時代の幕開けだなんて、当時も今も思っていませんが。

岡康道(以下、岡) 僕は75年に高校を卒業してから、知的な人生とは無縁の人になっちゃったんだけど。浪人中の76年からアメフトを始めて、それから80年に大学を卒業するまで、奨学金をもらって、アルバイトをして、運動をして、と、何も考えず元気よくやっていたわけです。

市川 岡さんは80年に電通に入社されたんですよね。そこから、のちにTUGBOATをつくられるまでの流れというのは、たしかに一見「70年代」をくっきり切断したようにも見えますが、岡さん自身の意識としてはいかがだったんですか。そこで「まるで違う岡康道」になったのか、それともどこかなお地続きのものがあったのか…。

 どうでしょう。80年というのは、いろいろなことがあったんですよ。山口百恵がマイクを置いたでしょう。それから王貞治がバットを置いたでしょう。12月にはジョン・レノンが撃たれて亡くなったでしょう。

 僕もその年に就職して、楽しかったのか、苦しかったのかよく分からないけど、でも何か面白かったな、みたいな学生時代が終わって、電通に入ったら、毎晩歌って踊って、が始まって。

市川 そうだったんですね。

 当時は営業だったからね。それで、うわ、オレ、こんなことになっちゃった、と思っているときに、同じ歳の浅田彰の『構造と力』じゃないですか。いや、これはすごいけど、すご過ぎて、僕とは全然違う。だから僕は、もう何も考えるのはやめよう、と。

 でも80年代と言ったらまさしく広告の時代、電通の時代だったよね。しかも、そういう状況を浅田彰が支持しているかのように受け取る雰囲気もあって。

ゲームとして生きられる才能

 そう、その意味では、僕の仕事も浅田彰によって理論的に保証された、みたいなね。

 ただ、僕が今立っている場所と、思想的、政治的なあれこれとの関係なんかはたぶんなくて、途中、「あ、このゲームは勝てばいいんだな」というふうに思い始めてからは、それだけじゃないかと思うんですね。

 確かに、政治が作った社会のムードというものがあって、そのときのデリケートな何かとか、ノスタルジーとか、そういうものは引きずっているとは思うんだけど。自由に書いていい文章みたいなものには、そういうものが反映されているし、影響をすごく受けていると思うんだけど、広告というもの自体には、70年代の思想は全然関係ないですよね。

市川 70年代を実質的に経験していない僕から見ると、岡さんが言われた「人生をゲームととらえる」感覚が、敦さんが冒頭で言われた70年代の暗さとか、あるいは「失敗のイメージをどう償却するか」という学生運動後の問いに対する答えなのかな、とも見えるんですが、そのあたりは?

 そうですね。繰り返しになりますが、ゲーム的人生観は70年代の状況に対するひとつの答えになるとは思う。でも兄貴の場合、それは、時代とのやりとりの中で、こうやって処理していこう、という論理的に考えて出した結論じゃないよね。

 俺より先に敦が否定してどうするんだよ(笑)。

 いやいや。ゲームにしちゃう、というのは、生まれつきの才能みたいなもんだと思いますよ。だって子どものころからそうですもん。僕が生まれたときから兄貴がいたわけだけど、僕の記憶が始まったころからずっとこうです。

市川 変わらないんですね。

 だからそれは一種の才能でしょう。そのうえで80年代以降が、その才能にぴったりの風土に変わって、あれ、これは俺の時代じゃない? って感じになったんだと思うけど。

バブルとともに、兄貴の時代がやってきた

 70年代後半に、ある種うなだれたような数年があった後、結局、バブルになっちゃったわけだよね。

市川 岡さんの感覚としては、70年代の終局からバブルまではわりとすぐなんですか?

 すぐですよ。僕が入社したのは80年でしょう。浅田の登場が83年でしょう。83年ぐらいから、何か世の中がちょっとおかしいぞ、というふうになって。僕個人には、生活とバブルが一緒に来ちゃったから、生活するってこういうことか、と一種、めちゃくちゃなことになっていくわけですよね。それで、僕は85年に営業から制作の方に移るんだけど、まったく芽が出なくて、このままじゃ1社も通らないまま定年になっちゃうんじゃないかな、と思っている。そう思いながら3年ぐらいたったら、バブルがはじけちゃったんです。

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著者プロフィール

岡 康道(おか・やすみち)

岡 康道

クリエイティブ・ディレクター、CMプランナー。
1956年生まれ。80年早稲田大学法学部卒業後、電通に入社。CMプランナーとしてサントリー「BOSS」「南アルプスの天然水」、JR東日本「その先の日本へ。」など、時代を代表するキャンペーンを手がける。97年、JAAAクリエイター・オブ・ザ・イヤー受賞。
99年に日本最小最強のクリエイティブ・エージェンシー「TUGBOAT」を川口清勝、多田琢、麻生哲朗とともに設立。主なクライアントに、サッポロビール、大和証券、富士ゼロックス、リクシル、NTT東日本、大和ハウス、NTTDoCoMoなど。TCC最高賞、ADC賞、ACC賞、ニューヨークADC賞、クリオ賞など受賞多数。TCC会員、ニューヨークADC会員。現在、雑誌ポータルサイト「magabon」にて、エッセイ連載中。近著に「ノンタイトル」(電子書籍)

清野 由美(きよの・ゆみ)

ジャーナリスト。
1960年生まれ。82年東京女子大学卒業後、草思社編集部勤務、英国留学を経て、トレンド情報誌創刊に参加。「世界を股にかけた地を這う取材」の経験を積み、91年にフリーランスに転じる。国内外の都市開発、デザイン、トレンド、ライフスタイルを取材する一方で、時代の先端を行く各界の人物記事に力を注ぐ。『アエラ』『朝日新聞』『日本経済新聞』『日経ベンチャー(現・日経トップリーダー)』などで執筆。著書に『セーラが町にやってきた』(プレジデント社/日経ビジネス人文庫)、『ほんものの日本人』(弊社刊)、『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(集英社新書・隈研吾氏と共著)『「オトコらしくない」から、うまくいく』(佐藤悦子氏と共著・日本経済新聞出版社)など。



このコラムについて

人生の諸問題

日本語は今や、ウェブ上で全世界でもっとも流通している言語だといわれるまでになった。しかも、読む人間より、書く人間の方が圧倒的に多いのだという。それほどまでに人々が文章を書いている一方で、相手に何かを伝えることの難しさは、むしろ増えているように思える。「誰もが発信者」、そんな史上初のシチュエーションを迎えた今、いったい私たちの「コミュニケーション」はどこに行くのだろう。広告の世界でクリエイティブディレクターとして活躍する岡康道氏と、コラムニストの小田嶋隆氏が、高校時代の同級生という縁から始まった「伝達」について、ゆるゆると語り尽くす…はずだったのだが?

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