夫婦って、年をとるにつれ、会話がなくなるというけれど、この2人はちがっている。本書は、「木皿泉」のペンネームで、夫婦で脚本家をしている2人による対談形式のエッセイ集だ。たがいを、嫁は「大福ちゃん」と呼び、夫は「かっぱさん」と呼び、会話の導入も、
かっぱ「私の友人の娘さんが、結婚することになりましてね」
大福「ほう、それはめでたい。今でも『娘さんを下さい』なんて、男が女の実家に言いにいったりするんですかね」
と、いとしこいし師匠の掛け合い漫才を思わす、近しくしても他人行儀な対話のテンポが独特で、あっちこっちへと話がひろがっていく。2人で話すことはいっぱいありますよ、的なこの距離感はどのようにしたら保ち続けることができるのか、読み始めた最初は不思議だった。
合ったりズレたりの絶妙な呼吸
冒頭の結婚話も、かっぱさんいわく、娘を嫁にやる際の女親の心境は、男親のように寂しさに浸ったりせず、結婚したらあんたも母の孤独が分かるというもんやと思ったりするのだとか(男からしたら、「へぇー」です)って説明から、母親に口答えする子供のたとえで脚本家とプロデューサーの関係について語るという塩梅。例えばこの回の〆はこんなやりとりで終わっています。
かっぱ「プロデューサーは早く書けって言うけど、作家は自分でもまだ何が書けるかわからないんです。混沌としていて。何がやりたいのか、時間をかけないと見えてこない。何もさぼっているわけじゃない。子供もそうだと思うんですよね。どんなふうに生きたいか自分でもわかってない。子供自身がわからないことを、親がわかるわけないじゃないですか。待ってやるしかないと思うんです」
この時、進路をめぐる親子の問題を、かっぱさんは熱弁していて、ふんふんとワタシもうなずきかかるわけですが、そばで聞いていた大福さんは違っている。
大福「それ、締切を守らない自分への言い訳にしか聞こえませんよ」
論が悦に入りかかると、水を注ぐ。適度なツッコミ。これが2人の利点で、呼吸が合ったりズレたりしながらも、変わらないのは上から目線になっていかないこと。威張ってない。だらだら、折々に興味をもったことをしゃべっているだけ。教えてやるぞ、語ってやるぞ、じゃないんだね。
自然体というんですか。月刊誌の連載が元になっていて、ラジオのトーク番組みたいに、なんとなく始まる。何でもない雑談ふうなんですが、粒々のような何かを残していくというか。そのあたり、さすがプロのお仕事です。
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