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法と国家の形成を意図的に回避した社会とは

配分する[4] ――正義について考える【15】

2011年3月24日(木)

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交易と分配の結びつき

 首長制またはビッグマンの社会では、交換と再配分によって首長が権威を保っていることはよく知られている。たとえば北東ニューギニアの島々では、「貴重品から生活必需品まで、多様な物品を遠洋航海によって取引するラヴェーンと呼ばれる交易活動がある」[1]。これらの島は、近隣の村とは互恵の関係に基づいて親族とのあいだで贈与を行うが、祭礼や儀礼に必要な品物は、ニューギニア本島に赴いて、再配分方式によってラヴェーンを行う。

 そして島の特産物と交換に、豚、芋、装身具など現地では入手できないものを持ち帰って、「儀礼で消費・分配する。儀礼主催者はその分配によって威信と名声をえるし、政治的リーダーの地位をも手に入れる」[2]のである。共同体の内部では互酬的な贈与が適切であるが、共同体の外部からは交易によって財を獲得し、それを再配分して首長の地位を確保するのである。

インディアンの首長の資格

 ところでこうした首長制のうちでも、アメリカ・インディアンの首長たちはそれほど楽な仕事ではないようである。クラストルによると、首長たちの資格には三つある。「平和をもたらす者」であること、自分の財産を物惜しみせずに分け与えること、「弁舌に巧みな者」であることである[3]

 首長は「平和をもたらす者」ではあるが、弁舌によって揉め事を解決しなければならない。暴力的な手段や強制によってしたがわせるのではなく、「妥協点を探る調停者」[4]としてふるまい、その揉め事が血の復讐となるのを防ぐのである。「強制によるのではなく平時の通常の全員一致に基礎づけられた権力は、心底から平和的性格」[5]をもっているのである。

 首長は物惜しみせずに財を分配する者であるが、「与える権利」をもつというよりも、他のインディアンたちが「略奪する権利」を行使するとみるべきだという。「もし不幸なリーダーが自分の手から贈物がこぼれ落ちてゆくのをおし止めようとでもすれば、一切の威信、一切の権力がただちに否認されてしまう」[6]。首長は外見で分かるという。「他の誰よりも所有物がなく、見栄えのしない装身具しかもっていない」[7]からである。

 首長は弁舌巧みに語る者であるが、その言葉はみずからの権力を裏づけるものというよりは、他のインディアンたちを楽しませるものである。「多くの部族において、首長は日毎に、明け方か日暮れ頃、ためになる語りによって彼に従う集団を喜ばせなければならない」[8]のである。

国家に抗する社会

 この首長のありかたは、インディアンの社会の重要な特徴を示している。首長は再分配の中心でありながら、それによって富を蓄積することがなく、政治的には無力なのである。首長が重要な決定を下すことができるのは、戦争のときだけである。それ以外の時は首長は他のインディアンたちにほとんど奉仕するばかりである。ブラジルのインディアンを発見した初期のヨーロッパ人は、インディアンを「信仰(フォワ)なく、法(ロワ)なく、王(ロワ)なき人々」[9]と呼んだのだった。政治的な権力を構築することのできなかった社会、文明的に遅れた文字なき社会とみなしたのである。

 しかしこれが自民族中心主義の考え方であるのはたしかである。クラストルはこのインディアンの社会は、この無力な首長による再配分という巧みな方式によって、法や国家を形成することを意図的に回避しようとした社会ではないかと考える。「われわれの文化は、その起源以来、命令-服従という位階づけられた権威的関係によって政治権力を思考してきた」[10]。そのためにこの社会の巧みなありかたがみえないだけなのではないかと。インディアンの社会は、法によらずに、再配分によって公正な分配を社会の内部から実現する方法を編みだしたのである。

コメント1件コメント/レビュー

人が複数集まれば、「自然に」決定をする人(リーダー)と従う人が出てくると思っていたのですが、必ずしもそうではない集団が存在し得たという事ですね。非常に面白いと思います。また、戦う時は首長がリーダーシップを発揮したというのは興味深いです。平常時との違いは何なのでしょうか。人間を殺す事でしょうか。それとも、短期間に効果的に集団行動をしなければいけないという点でしょうか。その集団がある目的を持っている場合にリーダーシップが出現するという事でしょうか。平時に生き延びる事を敢えて「目的」としなくても生きる事ができた地域にこのタイプの社会が発達したのでしょうか。自分は割とグループ内でとりまとめをしたり口うるさく指示してしまう方なのですが、それが誰のための何の目的なのかをふと考えてしまいます...。(2011/03/24)

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「法と国家の形成を意図的に回避した社会とは」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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いただいたコメント

人が複数集まれば、「自然に」決定をする人(リーダー)と従う人が出てくると思っていたのですが、必ずしもそうではない集団が存在し得たという事ですね。非常に面白いと思います。また、戦う時は首長がリーダーシップを発揮したというのは興味深いです。平常時との違いは何なのでしょうか。人間を殺す事でしょうか。それとも、短期間に効果的に集団行動をしなければいけないという点でしょうか。その集団がある目的を持っている場合にリーダーシップが出現するという事でしょうか。平時に生き延びる事を敢えて「目的」としなくても生きる事ができた地域にこのタイプの社会が発達したのでしょうか。自分は割とグループ内でとりまとめをしたり口うるさく指示してしまう方なのですが、それが誰のための何の目的なのかをふと考えてしまいます...。(2011/03/24)

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