• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

正義が実現される理想的な国家とは

配分する[6] ――正義について考える【17】

2011年4月7日(木)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

前回から読む)

プラトンの最小国家の像

 ハリントンはこのように、民主政治、貴族政治、王政の要素が混在していることが理想の共和国であり、それをケーキを切り分ける原理で導きだすことができると考えたのだが、このような権力の配分が正義に適うものであるという考え方は、ローマ共和国の時代のキケロに、さらに古代アテナイのプラトンにさかのぼる。

 プラトンの対話編『国家』は、「正義とは何か」を中心とした書物である。この対話においてソクラテスはまず、正義について考えるためには、人々が集まって国家を作るのはなぜかというところから考察を始める必要があると指摘する。そのためにソクラテスが始めるのは、最小国家のイメージを描きだすことである。人々が国家を作るのは、それぞれの人に得意な分野というものがあるからだと考える。畑を耕すのが得意な人も、農具を作るのが得意な人も、魚を釣るのが得意な人もいるだろう。一人で畑を耕し、鍬を作り、釣糸をたれているのでは、効率が悪い。ここで古代のギリシアの古典的な正義の概念が登場する。それは正義とは、人々がそれぞれのアレテー(徳、卓越性)を発揮することであるという定義である。

 目のアレテーとは見ることである。目はそのために作られているからだ。馬のアレテーとは長い距離を速く走ることである。すると農夫のアレテーとは、畑を耕すことに習熟していることだと言えるだろう。狩人のアレテーは狩猟に長けていること、兵士にアレテーは武器を扱って敵と闘うことに長けていることである。だからここで正義は、それぞれの人がみずからアレテーを発揮し、国家において人々とともに暮らすことと言えるだろう。この最小国家における正義とは、「これらの人々がお互いに他を必要とするところにおいて」[1]、それぞれのアレテーを発揮するということにある。

現実の国家の像

 しかしソクラテスの対話相手は、ソクラテスのこの説明には満足しなかった。ソクラテスはこれを「健康の国」[2]と呼ぶが、対話相手には、まるで「豚どもの国」のようなものと思われるのである。というのは、この国には貧乏も戦争もないだろうが、贅沢もなく、哲学もなく、ただ人々が生存しているだけの国にしかみえないからである。

 そこでソクラテスは現実の国家、「炎症にかかっている国」[3]についての考察を始める。この国はもはや「平和に健康に生活をしながら、遂には老人になって、子供たちにも他のそのような生活を譲り渡す」[4]ことは期待できない。この国は他の国と戦争や、通商をする必要があるだろう。そのためにこれまでは違うアレテーが登場する。その一つはまず軍人、すなわち守護者のアレテーである。「人は同時に百姓をしながら、あるいは靴工でありながら、あるいは何でも他の術をやりながら軍人であることができる」[5]とは考えられないからである。軍人のアレテーは勇敢(ソーテリア)であること、「気概的」[6]であることと特徴づけることができるだろう。

 さらに守護者のほかに、国家を統治する愛知的な人々も必要である。これも健康な国家では不要なアレテーであった。最小国家では国の規模が小さいために、特別な政治家たちは必要ではなかったのである。この統治者のアレテーは愛知的で、愛学的なことである。知(エウブリア)がそのアレテーである。

コメント1

「中山元の哲学カフェ」のバックナンバー

一覧

「正義が実現される理想的な国家とは」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック