「人生の諸問題」

「企業社会の男の人はSNSのコミュニケーションからは遠ざけられてしまうんです」

シーズン3・24歳年下のIT論客に聞く その3 ゲスト 濱野智史さん(情報社会研究者)

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2011年4月11日(月)

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 小田嶋隆さんと濱野智史さんの対談シリーズ、その3回目です。

 今回は「2ちゃんねる」に受け継がれる「本歌取り」の伝統のお話から、若者がSNSにハマる理由と、「社内SNSで情報共有を!」という目論見がいつも失敗するワケについてお伺いしました。

 驚きなのは、ツイッターとミクシィとスカイプと携帯電話を同時に使ってコミュニケーションするのが“普通”だという、小田嶋さんの息子さん(大学生)のお話。濱野さんによると、人間関係の微妙な距離感を、これらのツールを使って計っているのだそうです。“お父さん”には分からない、SNSのリアルな世界を語っていただきます。

前回から読む)

―― 以前、小田嶋さんがネットで詩を書く「ポエマー」たちを話題にしたときに、「詩人って本来は『ポエット』で、『ポエマー』じゃないでしょう…」と、つぶやいていたことが印象に残っています。今回はその辺りからお話を始めていただけるとうれしいです。

小田嶋 はい。その話はネットというよりも、「2ちゃんねる」の語法で言うところのエピソードですね。2ちゃんねるの人たちは、既出を「ガイシュツ」と言うでしょう。

濱野 そうですね、わざと。

小田嶋 誰かが間違えて、その間違いが面白いと、そこから先はみんなで間違え続けていく、ということをしますよね。

濱野 そうなんです。あれは興味深い現象ですね。

小田嶋 時々事情を知らない人が、これは「キシュツ」と読むんだよ、と言ってくると、「ネタにマジレス、カコワルイ」と、必ずお決まりのツッコミ、コール&レスポンスがあるんですよ。

―― 叱責されてしまうんだ。

小田嶋 で、「2ちゃんねる」の楽しみって、まさしくそこにあって。

「言い間違い」共通の文化的基盤

―― 濱野さんのようなインターネットの研究者にとって、「2ちゃんねるカルチャー」というのは、どういうものなのでしょうか。

濱野 智史(はまの・さとし)
1980年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学大学院・メディア研究科修士課程修了。専門は情報社会論。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員を経て、現在は、インターネット関連コンサルタントの「(株)日本技芸」でリサーチャー。主にウェブサービスにおける情報環境の分析や、ネットユーザーの実態調査を行う。著書『アーキテクチャの生態系』で第26回テレコム社会科学賞・奨励賞を受賞。(写真:陶山勉、以下同)

濱野 これはネットに限らないのですが、ある種のコミュニティーなり文化的集団が形成されるときというのは、「僕たち私たちは一緒の場にいて文化を共有している」ということを確認するために、独自の風習を発達させるわけですよね。それが隠語だったり、ファッションだったりするわけです。

 今までの、特にテキスト情報だけが中心だったインターネットにおいては、言葉しか自分たちのことを確認できるものがなかったわけで、そこである種の隠語というか、ジャーゴンをどんどん作っていくしかないわけですが、その特殊用語を作っていくとき、ネットで一番手早く、面白く使えるのは、何と言っても言い間違いの部分ですよね。特に漢字の読み間違いとか、スペルの間違いとかは、非常に共有しやすい。なぜなら、キーボードを打つ、打ち間違えるという行為というのは、ネットコミュニティーにとっては誰もが経験する共通の文化的基盤だからです。

小田嶋 それは「2ちゃんねる」に限らず、「ミクシィ」でも「ツイッター」でも、あるコミュニティーのつながり方と同じですよね。

濱野 はい。

小田嶋 その意味で、日本でのそういうつながり方が、アメリカなんかとちょっと違う形で動いている理由の1つに、日本語という言語のちょっと特殊なところがあると思うんですよ。

濱野 アルファベット26文字だけで成立している言語圏ではない、という要素ですね。

小田嶋 だいたい日本語の文化の中では、本歌取りみたいなことが、すごく好まれてきたでしょう、昔から。

濱野 まったくその通りですね。

小田嶋 江戸時代の人たちって、百人一首のパロディみたいなことを、延々とやってきて、それが俺たちにも受け継がれているでしょう。「三笠の山にいでし月かも」みたいな歌をちょっともじって言ってみて、それで笑ってくれる相手は、要するに「三笠の山にいでし月かも」を知っている人なんだな、という教養の確認ができるわけですよ。そうやって互いを測る、みたいな、ちょっといやらしいサロン文化みたいなものがずっとあって、「2ちゃんねる」も明らかにそれを引きずっている。

濱野 そうですね、引きずっていますね。

小田嶋 「俺」という一人称に「漏れ」を使うとかはそうですよね。それで、「もうその流行は去ったぞ」と言って笑う人たちもいるし、今来て、すごく得意になって使っているという人もいるし。

 そこのところの言葉の流れの、旬なのか、終わっているのか、身内のジャーゴンとして今、いいのか悪いのか、ということをあそこの人たちはとても気にしますよね。

濱野 「2ちゃんねる」に限らないんですけど、取りあえず「2ちゃんねる」が一番強いというのは事実だと思います。私の考えでは、それは「2ちゃんねる」が匿名的な掲示板で、だからこそコピペ(コピー&ペースト)されやすいというか、「誰の発言か」ということがあまり気にされないし、気にしてもしょうがないので、名言がどんどんコピペ繁殖して広がっていくんですね。これがブログやツイッターだったら、「俺の文章を勝手にコピペするな!」と怒られてしまうのに、匿名だからそれがない。

小田嶋 匿名性があるからこそ、ジャーゴンに対する共感覚みたいなものが非常に 発達しやすいというか。「吉野家コピペはお前、知っているのか」みたいな、初心者にはお勧めできないみたいなことをふらっと文脈の中に混ぜてみて、これがパロディと分かっているのか分かってないのか、顔色をうかがうみたいなことをするわけですよ。

(注・「吉野家コピペ」とは、2ちゃんねる勃興期である2001年頃に登場した、コピペテンプレート文化の先駆を為す歴史的名文。独特のハードボイルドなリズム感と新鮮な口語感覚が多くの追随者を生んだ)

濱野 あと、どの会社にもあると思いますが、特に愛社精神が強そうなところほど謎のジャーゴンが多いですよね。はたから聞いていると、何話しているんですか? というような。

小田嶋 そうそう。

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著者プロフィール

清野 由美(きよの・ゆみ)

ジャーナリスト。
1960年生まれ。82年東京女子大学卒業後、草思社編集部勤務、英国留学を経て、トレンド情報誌創刊に参加。「世界を股にかけた地を這う取材」の経験を積み、91年にフリーランスに転じる。国内外の都市開発、デザイン、トレンド、ライフスタイルを取材する一方で、時代の先端を行く各界の人物記事に力を注ぐ。『アエラ』『朝日新聞』『日本経済新聞』『日経ベンチャー(現・日経トップリーダー)』などで執筆。著書に『セーラが町にやってきた』(プレジデント社/日経ビジネス人文庫)、『ほんものの日本人』(弊社刊)、『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(集英社新書・隈研吾氏と共著)『「オトコらしくない」から、うまくいく』(佐藤悦子氏と共著・日本経済新聞出版社)など。

小田嶋 隆(おだじま・たかし)

小田嶋 隆

1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。近著に『人はなぜ学歴にこだわるのか』(光文社知恵の森文庫)、『イン・ヒズ・オウン・サイト』(朝日新聞社)、『9条どうでしょう』(共著、毎日新聞社)、『テレビ標本箱』(中公新書ラクレ)、『サッカーの上の雲』(駒草出版)『1984年のビーンボール』(駒草出版)などがある。 ミシマ社のウェブサイトで「小田嶋隆のコラム道」も連載開始。



このコラムについて

人生の諸問題

日本語は今や、ウェブ上で全世界でもっとも流通している言語だといわれるまでになった。しかも、読む人間より、書く人間の方が圧倒的に多いのだという。それほどまでに人々が文章を書いている一方で、相手に何かを伝えることの難しさは、むしろ増えているように思える。「誰もが発信者」、そんな史上初のシチュエーションを迎えた今、いったい私たちの「コミュニケーション」はどこに行くのだろう。広告の世界でクリエイティブディレクターとして活躍する岡康道氏と、コラムニストの小田嶋隆氏が、高校時代の同級生という縁から始まった「伝達」について、ゆるゆると語り尽くす…はずだったのだが?

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