
イタリアで6月の12日から13日にかけて行われた原子力発電所の再開の是非を問う国民投票は、94.05%という圧倒的な反対票を集めて幕を閉じた。結果を受けて、ベルルスコーニ首相は、原発との決別を約束している。
わが国では、自民党の石原伸晃幹事長が、翌14日の記者会見で、この件について以下のように述べた。
「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは、心情としては分かる」
驚くべき言及だ。
石原さんが「ヒステリー」という言葉を、「興奮・激情により冷静な判断力を喪失している状態」という辞書に載っている語義そのままの意味で使ったのだとすると、彼は、イタリア国民を「愚民」呼ばわりにしたことになる。これはよろしくない。
いくらなんでも、国政の中枢にある人物が、公式の会見の場で、こんな失礼な発言をカマして良いはずがない。幹事長は、言葉の選び方を誤った。おそらく、石原さんは、大きな数字を目の当たりにして、単独ヒステリー状態に陥っていたのだと、そう考えてさしあげるのが彼のためであり、日本のためでもあると思う。
今回は、原発について触れざるを得ない。そういう雲行きだ。
原発は、イタリアにおいてそうであったように、わが国でも、最も主要な国民的関心事になっている。当然だろう。当事国なのだから。
原発の是非をめぐる議論は、事故発生以来、ほとぼりがさめるどころか、日に日に過熱して現在に至っている。おそらく、この問題は、今後、郵政民営化の時と同じようなワンイシューの争点になるだろう。
つまり、自民VS民主や、地方分権or中央集権、あるいは小沢対反小沢といった従来からの対立軸は、すべて原発の是非に包摂されてしまうということだ。
で、その国論を二分する葛藤の中心に菅首相がいる。
不思議なめぐりあわせだ。
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