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大地震はそれまでの楽観論を覆した

18世紀、リスボンの地震が起こした思想界の激震(上)

2011年6月23日(木)

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リスボンの大地震

 今回の東北大震災は、東北地方に言葉を失わせるほどの大きな被害をもたらしたが、世界史のうちでこれに匹敵するような地震が起きたことがある。一七五五年一一月一日のポルトガルの首都リスボンの大地震である。この地震はマグニチュードが九・〇程度で、大きな津波を伴い、一夜のうちに数万人の死者をだし、首都は壊滅した。それまで海上貿易で世界を主導していたポルトガルは国が傾くことになる。そしてこの地震が揺るがしたのは、大地だけではなかった。ヨーロッパの思想の世界にも激震が走った。

 それまでのヨーロッパの思想の世界において主流だったのはライプニッツの哲学であった。ライプニッツはオプィミズムを唱えており、この世界は神が作りだした最善の世界であると語っていた。啓蒙の哲学者のヴォルテールの『カンディード』に登場するパングロス師によると、「なべて物事は、現にあるより以外ではありえないということが証明されているのだ。その訳いかんとなれば、すべてのものは何らかの目的あってつくられているのだからして、必然的に最善の目的のためにある」[1]というわけである。「すべからく一切万事最善である」[2]というのがライプニッツのオプティミズムの教えるところである。たしかに世界のうちに悪はある。しかしその悪は他のさまざまな善が存在するために必要なかぎりの悪であるとライプニッツは主張する。

ヴォルテールの批判

 しかし大地震の惨禍を目撃した人々は、そのような楽観的な見方をすることができなくなった。最初に反応したのは、まさにヴォルテールだった。彼は翌年の三月に「リスボンの大震災にかんする詩篇、または〈すべては善である〉という公理の検討」[3]という詩を作って発表した。その序文では、「〈すべては善である〉という語を厳密な意味で、しかも未来の希望なしで把握すると、これはわれわれの人生の苦しみにたいする侮辱にほかならない」[4]と語ったのだった。

 詩の冒頭でヴォルテールはライプニッツ派の哲学者たちに挑戦する。

「すべては善である」と叫ぶ迷妄の哲学者たちよ、
ここに駆け付け、この恐るべき廃墟をよく眺めるがよい。
この瓦礫を、このずたずたの破片を、この不幸な屍を。
たがいに重なりあったこの女たちを、この子供たちを。
崩れ落ちた大理石の下に散らばっているこれらの手足を。
大地が呑み込んだ数万の不幸な人々を[5]

 ヴォルテールはこれが天罰だという声にも挑戦する。

あなたがたはこの山のような犠牲者をみて、それでも言うのか、
「神が復讐したのだ、彼らの死は犯した罪の報いなのだ」と。
どのような罪を、どのような過誤を犯したと言うのか、
母の乳房の上で、潰され、血まみれになっているこれらの子供たちは。
壊滅してもはや地上にはないリスボンは、それほどの悪徳の町だったのか、
ロンドンよりもパリよりも悦楽にふけっていたと言うのか[6]

ルソーの反論

 ヴォルテールは「地上には悪が存在する」[7]と結論した。この詩に反応したのは意外にも文明の堕落を批判していたルソーだった。ルソーは主に二つの点でヴォルテールに反論する。第一は同年に刊行された『人間不平等起源論』でも指摘されたように、人間に悪をもたらしているのは神であるよりも、人間そのものであると考えるからである。人間がもし野生人のように、素朴な生活をしていたならば、文明の災害に会うことはなかっただろう。「火災や地震などのために、さまざまな都市が崩壊し、あるいは全滅していること、そのために何千もの人々が死亡していることも考えてほしい」[8]とルソーは訴える。

コメント3件コメント/レビュー

確かにこれは一気に読みたいですね。震災以前の日本は不況や政治不信などの問題を孕みながらも、ある程度は問題なく暮らしていけるという一種の「平和ボケ」状態であったように思います。カンニング問題の一件は特に、そのことを強く実感させるものでした。しかし震災以後の私たちは節電などを通して、私一人の幸福よりも全体の幸福のために何ができるかということを考え始めています。リスボンの地震の後に神の視点から個人視点へとシフトが起きたように、日本は個人視点から全体に従属するものとしての私視点へとシフトしていっているようにも感じます。しかし一方で、石原都知事の天罰発言はライプニッツ的なものであり、それに反発する人々はヴォルテール的でしかないとすれば、人間はずっと同じことを繰り返していくのではないか、とも捉えられそうですね。(2011/06/23)

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「大地震はそれまでの楽観論を覆した」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

確かにこれは一気に読みたいですね。震災以前の日本は不況や政治不信などの問題を孕みながらも、ある程度は問題なく暮らしていけるという一種の「平和ボケ」状態であったように思います。カンニング問題の一件は特に、そのことを強く実感させるものでした。しかし震災以後の私たちは節電などを通して、私一人の幸福よりも全体の幸福のために何ができるかということを考え始めています。リスボンの地震の後に神の視点から個人視点へとシフトが起きたように、日本は個人視点から全体に従属するものとしての私視点へとシフトしていっているようにも感じます。しかし一方で、石原都知事の天罰発言はライプニッツ的なものであり、それに反発する人々はヴォルテール的でしかないとすれば、人間はずっと同じことを繰り返していくのではないか、とも捉えられそうですね。(2011/06/23)

いつわりの有神論者は地震・津波から自分だけは守られる筈(=神のごりやく)と信じるから不安は無い。真の有神論者は何が有っても神のみもとに招かれたとの思いで、やはり不安は無い。では無神論者はどうするか。悪・不条理に歯軋りして不安の日々か、又は諦念して無関心を装うか(=どうも無神論者の方がワリが悪く、不幸人みたいだがーーー???)。しかし無神論者であっても、宇宙の全てを構成している根本的微粒子の或る部分が自分の肉体を作り、思考する力をも持った生物体としてこの世に存在するに至った事の神秘性・奇跡性に感動出来れば、いずれその構成微粒子がばらばらになって宇宙に散らばって行く終末課程(=輪廻転生)をも含めて、全てを肯定出来る(=不平・不満・不安の無い境地が有りえる)、と考えます。(2011/06/23)

一気に読みたい!!(2011/06/23)

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三品 和広 神戸大学教授