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同情の感情が無尽蔵にあることを教えた大震災

共感する【1】

2011年7月7日(木)

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共感という語について

 これからしばらくの間、共感するというテーマを考えてみたい。共感するということは、共に(シュン)感じ(パテイン)ことであり、同情すること(シンパシー)である。そしてパテインのほんらいの意味からして、共に苦しむこと、すなわち共苦という意味を含む。相手の喜びを共にすることももちろん共感することであるが、相手のつらさを分かち合い、共に苦しむことが、共感の概念の根っこにある。

 アリストテレスはこの共感を友人との関係においてみいだして、人は友人とつねに「共に(シュン)苦しみ(アルゲイン)、共に(シュン)喜ぶ(カイレイン)」[1]ことを望むものだと語っていた。人は「友をみること自分自身をみるごとく」[2]あるからである。共感することは、相手の苦しみのうちに自分の苦しみをみいだすことである。

 この概念を友人関係における感情としてではなく、哲学的な概念として提示した重要な思想家がルソーである。ルソーはホッブズの自然状態における人間の理論に異議を唱えた。ホッブズは自然状態では万人が万人にとって狼のような存在であると考えた。これにたいしてルソーは、自然な状態では人間の心にうちに「自分の同胞が苦しんでいるのを目にすることに、生まれつきの嫌悪を感じる」[3]と主張する。

憐れみの情

 これは「憐れみの情」(ピティエ)とされており、日本でいえば辞書で「いたわしく思うこと、かわいそうに思うこと、同情すること」と説明されている「惻隠の情」がもっともぴったりする言葉だろう。ルソーはこれを「さまざまな不幸に陥りやすい人間という存在にふさわしい素質」[4]であると語っている。「惻隠の情とは、苦しんでいる者の立場に自分をおいてみたときに生まれる感情にほからない」[5]のである。

 今回の東日本大震災は、ぼくたちにそのことを実感させたのだった。ぼくの周囲でも多くの人が食欲をなくすほどに、共に苦しんだのである。あの災害は人間における同情の感情がまだ強く人間を動かしていること、人間の同情の感情の能力が無尽蔵なほどにあるように思えることをぼくたちに教えたのだった。

憐れみの情と自己愛

 ルソーはこの惻隠の情を人間の二つの根本的な感情の一つと考えた。もう一つの感情は自己愛(アムール・ド・ソワ)であり、人間の自己保存の本能である。これは利己愛(アムール・プロープル)とは異なるものである。ルソーにとって利己愛は、人間が自然状態を抜けだし、他者との競争の世界に足を踏みいれた後になって経験する自己への利己的な愛である。この利己愛という感情は、「社会の中で生まれる相対的で人為的な感情である。それぞれの個人はこの感情のために自分をほかの誰よりも尊重するようになる。そして人々はこの感情のために他者にあらゆる悪をなすことを思いつくのである」[6]。この利己愛は社会から生まれるとともに、社会のうちに悪をもたらす原理なのである。

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「同情の感情が無尽蔵にあることを教えた大震災」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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