6月29日の午後、郡山市のファミリーレストランで、2人の子を持つ母親と向かい合っていた。
母親はとつとつと、話し始めた。
「家族で避難するって、そう簡単なことじゃないんです。私もだんなも仕事があるから。子どもたちだって、『遊んでくれるから』って、だんなが大好きで、離れたくないって。でも子どもだけでも放射能の心配のないところで過ごさせてあげたい。『行きたくない』って言うのを説得して、避難させたんです」
20ミリシーベルトを早く撤回して
「郡山市は空間線量率測定値の平均が毎時0.2マイクロシーベルト以上の学校施設で教育活動を行わない」ことなどを求め、郡山市の14人の子どもが6月24日、同市を相手取って、仮処分申請を福島地裁郡山支部に申し立てた。郡山市は争う構えだ。
この母親は、申し立てを行った子ども(債権者)の親の1人。今回の仮処分申請に参加した経緯とともに、母親として放射能が子どもの健康にどのような影響を与えるのかという不安、避難させるべきかどうか迷ったことなどを話してくれた。2人の子どもは、県外で合宿のような形で受け入れてくれる団体のところで、両親と離れて避難生活を送っている。
「『自分の子どもだけを避難させて、それでいいのか』と思いました。本当は、郡山市を訴えるなんてしたくないです。でも国や文科省を訴えたら何年かかるか分からない。とにかく早く対応してもらいたいから仮処分申請をしました。文科省には20ミリシーベルトを早く撤回してもらいたい。学校ぐるみで、子どもたちを避難させてほしいからなんです」
共働きで忙しい毎日で、まさか市を訴えるなど、思ったこともなかった。しかし、原発事故が、家庭の状況を一変させた。この母親が主導権を握る形で、仮処分申請への参加、子どもだけの避難など、大事なことを決めていった。何度も夫と話し合い、自身も悩んだという。
「もし、リーマンショックがなかったら…。リーマンショック後は収入が10万円以上減ってしまって…。いろいろ話し合ったけど、だんなが仕事を辞めて家族全員で避難なんて無理。仕事がなくなったら、もっと不安になる」
そう言って、うつむいた。
ビデオを夫に見せて決める
「大丈夫ですかって? 大丈夫な人なんて、福島県民にはいないよ!」
震災後、県内の知人に安否確認の電話をした時、受話器の向こうから、こんな言葉が返ってきた。家族が別れて暮らさなければならなくなり、「こんな事態は想像もしなかった」という出来事に直面している家庭は県内に少なくない。
東日本大震災と原発事故発生以降、原発や放射能、被ばく問題に関する勉強会や講演会が県内各地で盛んに行われている。
特に女性(母親)は勉強熱心で、5月に郡山市で開かれた講演会で、最前列でビデオカメラを回していた母親は、「今日は夫が仕事で来られなかったから、家に帰って夫に見せる。そして避難するかどうか話し合って決める」と言っていた。
夫は仕事で忙しく、勉強会にもなかなか来られない一方で、時間を融通できる妻が熱心に参加する――。そんな中で、夫と妻の隔たりが大きくなる家庭もあり、取材の中では「原発別居」「原発離婚」などという言葉も聞こえてきた。
特に、子どもを持つ家庭が、避難や疎開、家族別居などの選択に迫られている。放射能の心配に加えて、引っ越しや転校で友達と別れたり、両親の離婚など、子どもたちは思いがけない状況に巻き込まれている。
「子ども福島」に寄せられる相談
「とにかく、お母さんたちに相談できる人がいないんですよ。問い合わせの電話でも『どうしたらいいか分からない』『家族内で意見が分かれている』と、不安を訴える内容がほとんど。『避難することを決めたので、避難先はどこがいいですか』という内容は少数」
「たった今も、夫が単身赴任している共働きの人(母親)から電話がありました。『仕事のことがあるけれど、子どもがまだ小さいので、子どもを守らないと』という相談でした。避難するかしないか、どっちにしろとは言えませんけれど…」
強い放射線の下に発生した生命ですからかなり余裕はあるのかも知れません。福島市は東北道、新幹線の存在が明確な汚染の証明の妨げになってる可能性もあります。しかしこのエリアに新エネルギーや医療の特区拠点を作りたいと政府は考えていますが、これだって家族で赴任しないでしょう(従来産業でも単身赴任でしょうね)。結局国家プロジェクトで除染しなければならないでしょうね。(2011/08/01)