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20歩先の美しい顔は美しくないのであろうか?

共感する【4】――ヒュームの共感論

2011年7月28日(木)

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情念と理性

 さてヒュームは社会において正義の観念や道徳の観念が存在しているのは、そもそも不思議なことだと考える。人々を動かす基本的な原理は自愛の念である。誰もが自分と自分の親しい人々の利益を考えるものである。しかしそれでいて、人々は正義や道徳の名のもとに、自分の利益を否定するような行動をとることがある。それはなぜか。

 それは理性の判断であるというのが、道徳哲学の基本的な考え方である。自愛の感情を理性的な判断で抑え、これこそが正義である、善であると判断するというわけである。しかし感情の哲学者であるヒュームはそうは考えない。理性はきわめて無力であり、情念に対抗することができるのはただ情念だけだと考えるからである。

 憤慨しているとき、理性がいくら怒るなと言ってきかせたところで情念はしたがわないだろう。憤慨しているとき、全身で怒っているのであり、これは他の事柄とは関係がない。「この情念に真理ないし理性が対立したり矛盾したりするのは不可能である」[1]。全身で怒っていることが真理なのである。ヒュームは「理性は情念の奴隷であり、かつただ奴隷であるべき」[2]と考えるのである。

共感と道徳

 だから正義や道徳の観念の起源を考えるには、理性ではなくもっと別の原理が働いて、自愛の情念を抑えていると考える必要がある。それが共感である。ヒュームはそもそも社会が形成されるためには、共感のような原理が必要だったはずだと考える。ある性質または性格が人類の福祉に寄与するものだったとしよう。そのとき人は自己愛とは別の快感を感じ、これを称賛する。それは「その性質ないし性格が、快の生気ある観念を表し、この観念が共感によってわれわれを動かし、したがって観念はそれ自身に一種の快であるからである」[3]

 ヒュームは暮らしやすい住宅をみると、その利益のために美を感じ、その持ち主の快感に共感するために、客もまた美を感じるのだと語っていた。それと同じように、善き性格の持ち主をみると、それが社会に及ぼす利益のために快を感じ、それが共感を通じて他者に伝達されるというのである。

 「ある目的への手段は、その目的が快適であるときのみ快適である。かつまたわれわれ自身の利害や友人の利害にかかわりのない社会的な福祉は、ただ共感によってのみ快感を与える。したがって、共感こそ、あらゆる人為的な徳にたいしてわれわれの払う尊重の源泉である」[4]ということになる。

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「20歩先の美しい顔は美しくないのであろうか?」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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中村 克己 元ルノー副社長、前カルソニックカンセイ会長