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「司馬遼太郎」も「松本清張」も津波で流された

『津波と原発』を出版した佐野眞一さんに聞く

  • 黒沢 正俊

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2011年8月1日(月)

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 ノンフィクション作家の佐野眞一さんが、東日本大震災と原発事故を取材した『津波と原発』(講談社)を出版した。震災1週間後に現地に入り、立ち入り禁止区域の福島原発周辺にも入った佐野さんに話を聞いた。(聞き手は、黒沢正俊=出版局主任編集委員)(文中敬称略)

―― 東日本大震災の被災地や福島原発事故をルポした『津波と原発』が売れています。震災当日はどうでしたか。

佐野:グラっと来る前は、新聞社から依頼されて東京都の石原慎太郎知事の記者会見を見てコメントするため、自宅で待機していた。石原は3期で退任すると思っていた。新銀行東京の責任を取らない、東京オリンピックの誘致も失敗した。こてんぱんに批判しようと構えていたら、国家存亡の危機とか言って4選に出馬するという。えー、と思っていたら、十数分後にぐらっと来ちゃった。

 この家は結構建て付けよくて、本棚から本もほとんど落ちなかった。その日は東京に出かけなかったので帰宅困難者にならなかったから、それはそれでよかった。それからずっとテレビを見続けた。

 ああ、これはでかいなと思った。俺、阪神大震災のときも覚えている。阪神大震災のときは、非常に軽微な地震のように最初は報道された。ところが長田地区から煙が上がっているのを見て、これはもしかすると、とんでもないことになるかもしれないぞと思った。

 今回の地震も、最初の報道では、千葉県の野田市で老人が庭に出て転んで死んだというのがあった。間もなく東京の九段会館で2人亡くなったというニュースが流れた。でも、阪神・淡路大震災の例があるから、もっとひどいことになるなと思っていたら、あの津波の映像がどんどん来ちゃった。やっぱりそうかと思った。だから、しばらくは映像を見っ放しだった。

心臓バイパス手術の後、震災一週間後に現地入り

―― 昨年、心臓バイパス手術という大病をしたにもかかわらず、震災一週間後に現地入りしています。

佐野:実は東日本大震災の前日の3月10日、講談社のノンフィクション誌『g2』に連載していた三國連太郎のロングインタビューのゲラがまとまって、担当の編集者と5月ぐらいに単行本にしようと打ち合わせをしていた。震災から2日後、その担当者から「現地に行きませんか」と電話が入った。

 本にも書いたが、テレビに出ている空疎な評論家に我慢がならなかったし、テレビや新聞が流し続けた紋切り型の美談報道にも辟易していた。現地に行って自分の目で見て感じたままを書いてやろうと思った。

佐野 眞一(さの・しんいち)
1947年東京生まれ、早稲田大学第一文学部卒業。1997年、民俗学者宮本常一と渋沢敬三の交遊を描いた『旅する巨人』で大宅荘一ノンフィクション賞を受賞。2009年、『甘粕正彦 乱心の曠野』で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『巨怪伝――正力松太郎と影武者たちの一世紀』、『カリスマ――中内功とダイエーの「戦後」』、『東電OL殺人事件東電OL殺人事件』、『だれが「本」を殺すのか』、『てっぺん野郎――本人も知らなかった石原慎太郎』、『小泉純一郎――血脈の王朝』、『阿片王――満州の夜と霧』ほか。

 現地には18日に入った。新幹線も何も動いてないから、羽田から山形県の庄内空港に向かった。翌日、ガソリンが補給できないというので、庄内のプロパン対応型のタクシーをチャーターした。朝6時に出て、三陸地方を目指した。

 まだ津波の爪跡が残っていたから、途中、海に落ちそうになったことが何回もあった。道路がいたるところで陥没していた。鶴岡のタクシーだから、三陸なんか行ったことがない。後で運転手は「本当に怖かった」と言っていた。

 三陸を目指したのは、会いたいと思った人間が2人いたから。2年前、松本清張生誕100年ということで東京新聞に清張論を連載した。そのとき、創共協定の立役者で共産党の文化部長だった山下文男を取材した。その際、山下が「故郷は三陸だから、そろそろ帰ろうと思っている」と言っていたことを思い出した。山下は津波の研究者でもあった。

 もう1人は新宿ゴールデン街のバー「ルル」のママだったキン子というオカマ。もう10年前に店を閉めているが、そういえば三陸が故郷だったと思い出して訪ねていった。そうしたら、どんぴしゃで当たっちゃった。

 87歳の山下は陸前高田市の県立高田病院の4階に入院中に津波に遭った。波しぶきをあげて津波が病室の窓から襲ってきた時、カーテンを体に巻きつけ辛くも生き延びた。翌日の午後、ずぶ濡れの衣服を全部脱がされ、自衛隊のヘリコプターに救助された。孫のような若い隊員が冷え切った山下の体を包んでくれたという。

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